近年は小川未明に「転向者」というレッテルが張られる場合が多い。例えば、青空文庫で簡単に読めるものに次のような作品や評論がある。
童話「僕も戦争に行くんだ」(1937(昭和12)、青空文庫、国策協力のスタート)
「日本的童話の提唱」(1940(昭和15)、青空文庫)
・戦時中には海鷲や陸鷲の多くの童話がある。
「子供たちへの責任」(1946(昭和21、9月)、青空文庫)
童話「兄の声」(1946(昭和21、4月)、青空文庫)
・戦前と戦後の未明の作品の違いは明晰判明である。
「転向、転向者」と形容される未明の変遷を一貫して説明できないもどかしさから解放されようとしても、なかなか埒が明かない。未明の大学時代の自然主義、大杉栄との親交、ラフカディオ・ハーンの影響等々がどのように未明の中で醸成され、童話作家に結実し、戦中、戦後につながるかは私には判じ物としか言いようがなく、もどかしい限りなのである。大杉栄の影響から大正期には思想的には共産主義的だったのが、昭和期に入り、戦争に積極的に協力していくことになる。そこにハーンの『Japan an attempt at interpretation』(1904, The Macmillan Company)(訳は『神国日本 解明の一試論』)がひょっとして影響しているのかも知れない。未明の卒論はハーンに関するもので、ハーンは早稲田大学の講師になって数か月で亡くなるのだが、未明がハーンに大きな影響を受けたことがわかっている。その影響が昭和に入って再燃したのか否かは今のところわからない。
ハーンは、評論『神国日本』の中で、日本には不思議な美しさが満ちていると述べ、その根源は日常生活にみられる道徳にあるとした。その上で、ハーンは明治維新を少数の卓越した人物の事業ではなく、国民的、民族的な本能の働きによるものと考えた。日本は国家存亡の最大の危機になると、民族本能は躊躇なしに道徳的経験、つまり、絶対服従の宗教である上代の祭祀に具現されている経験に立ち戻る。人々は神々の子孫である支配者の周囲に集まり、信仰の熱意に満たされ、支配者の意志を待つのである。危機に際し、日本人は自らの意志で、それまで忘れていた神道と帝(みかど)にすがってきた。保守派のかなりの人は小泉八雲に賛同するのではないだろうか。
未明は社会主義者から国家主義者、そして戦後は民主主義者へと転向する。越後高田で漢詩を愛した文学少年はやがて口語自由詩を紡ぐ詩人となる。早稲田を出て童話を中心に作家活動を続け、思想的には社会主義思想やアナキズム運動に関心を持ち、大杉栄とは交流を深めていた。革命を遂げたロシアを「正義の国」と称賛していたが、昭和になると一転して国家主義者へ豹変する。戦後は民主主義者に転じ、児童文学者協会の会長になり、戦時の日本社会を強く批判する。未明の思想や行動はメリハリがあるのだが、思想や行動の一貫性に欠けている。
例えば、未明と漱石を比べてみるとその違いがはっきり分かる。「個人主義」と「国家主義」は共存できると考えていた漱石はリベラル的な要素と保守的な要素の両方を持っていたとはいえ、「強制徴兵制」をもつ軍国主義は個人主義を破壊するものと考えていた。1912年明治天皇の死によって明治時代が終わり、乃木希典が殉死をする。漱石は1914年に新聞で『こころ』の連載を始める。乃木こそが理想の国家の体現であると漱石が考え、それを「明治の精神」という言葉で表現したと考える人もいれば,儒教精神・武士道精神などが残る「明治の精神」を乗り越えるべきだと漱石が考えていたという解釈もでき、思想や観念の幅や範囲がある。
このような陰影や余裕、悪く言えば曖昧さがないのが未明の特徴で、それが「転向」という言葉につながっているように思えてならない。