2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧

オタフクナンテンの赤い葉

冬のナンテンは赤い実が美しいですが、同じナンテン属のオタフクナンテン(お多福南天)は赤い美しい葉をもつ園芸種です。背が高くならない「矮性」の品種で、取り扱いが簡単で、カラーリーフとして公園、歩道の植え込みに幅広く利用されています。湾岸地域…

スノードロップの花

スノードロップ(snowdrop)は「ガランサス、待雪草(まつゆきそう)、雪の花(ゆきのはな)、雪の雫(ゆきのしずく)」とも呼ばれます。スノードロップは白い下向きの花を1輪咲かせ、春を告げる花として人気がありますが、今年は既にその花が咲き出していま…

小川未明:概観

越後出身の会津八一(1881-1956)、小川未明(1882-1961)、相馬御風(1883-1950)は共に東京専門学校(1902に早稲田大学と改称)に、それぞれ1902年、1901年、1902年に入学し、坪内逍遥に学び、同じ英文学科を卒業している(未明と御風は同じ旧制高田中…

冬のパンジーの花

パンジー(Pansy、Viola×wittrockiana)は北ヨーロッパ原産の園芸品種で、スミレ科スミレ属の耐寒性一年草。別名はサンシキスミレ(三色菫)や三色すみれ、ガーデンパンジー(Garden pansy)。街や公園の花壇や店先や民家のプランターなど、日当たりが良い場…

冬のコスモスとダリア

コスモスとダリアをメキシコから世界に広めたのは、1789年にスペインから派遣された植物調査隊のセルバンテスです。彼はマドリードの植物園長ガバニレス神父にコスモスとダリアの種子を一緒に送ったのです。「コスモス」と命名したのは、このガバニレス神父…

西脇順三郎とふるさと

西脇順三郎は1894年、新潟県小千谷に生れました。1911年中学を卒業し、画家を志し上京。藤島武二を訪問、内弟子となります。1912年慶應義塾大学に入学、1917年卒業論文「純粋経済学」を全文ラテン語で書きます。1920年慶應義塾大学予科教員に推され、この頃…

1月のナミハナアブ

画像はコスモスとヤツデの花に集まるナミハナアブ。いずれもハチのように見えますが、ハナアブです。幼虫はその外見からオナガウジという有り難くない別名があります。 ナミハナアブはミツバチに似ていますが、人を刺すことはありません。ハナアブはハエの仲…

1月のコブシ

早春のコブシの花の白さは春の喜びを見事に表現しています。でも、花の後のコブシの集合果の形状も花に劣らず印象的で、一つとして同じ形のものがないのです。花と違って果実は千差万別の形の妙を見せてくれます。そして、その実は秋が深まり、冬が近づくと…

ニホンス(ズ)イセン:様々な交雑

最後の画像はヒガンバナ科スイセン属の八重咲のニホンスイセン(日本水仙)で、一重のスイセンは昨日記した。白い花の中心部が黄色のものが「日本水仙」で、その中に花も中心部も白いのがあり、それが「ペーパーホワイト」。キブサスイセン(黄房水仙)もよ…

シロバナスイセンの花たち

少し前にスイセンの開花について記したが、気がつけば、シロバナスイセンも花をつけている。ヒガンバナ科のシロバナスイセン(白花水仙)の別名は「ペーパーホワイト」で、英語名がpaperwhite narcissus、中国名が白水仙。西ヨーロッパ、地中海沿岸、北アフ…

紅梅の花

白梅に続き、紅梅が咲き出した。奈良時代にまず白梅が伝来し、その後に紅梅が入ってきて、「紅梅(こうばい)」、「白梅(しらうめ、はくばい)」と区別して呼ぶようになった。「紅梅」の文献上の初出は『続日本後紀』で、そこでは紅梅が遅咲きで、白梅が開…

詩から新民謡へ:私的な比較

これまで私が相馬御風について言及してきた中から、私なりに関心を持ってきた詩人たちを絞って挙げてみると、次のようになり、期せずして最初に早稲田出身者が、最後に慶応義塾出身者がいることに不思議な気分になる。 ・相馬御風作詩「早稲田大学校歌」1907…

冬のツマグロキンバエ

ツマグロキンバエは春から秋にかけて、花に集まる小型のハエですが、まだ見ることができました。名前はツマグロ「キンバエ」ですが、いわゆる「キンバエ」とは別の仲間です。「ツマグロ」は翅の先端が黒いことからきています。 ツマグロキンバエの幼虫は動物…

プリムラの花たち

プリムラはサクラソウ科サクラソウ属の常緑多年草(日本では一年草扱い)で、画像はガーデンプリムラ・アラカルトシュシュと呼ばれる園芸種である。この種は秋に植え、冬に開花する。プリムラはパンジーやビオラとともに花が少なくなる冬の花壇を彩ってくれ…

ラナンキュラスの花

昨日ラナンキュラス ラックスについて記したが、キンポウゲ科のラナンキュラスの学名はラナンキュラス・アシアティクス(Ranunculus asiaticus)で、幾重にも重なった、明るい花弁が魅力的な秋植え球根。最近は花の色や形が改良され、香りのよい品種が数多く…

ラナンキュラス ラックスの花

ラナンキュラス ラックス(Ranunculus Rax)はラナンキュラスの異種間交配で生まれた品種。花弁はシルクのような艶やかさがあり、光にあたるとキラキラと光り、咲き進むにつれてメタリックな質感が現れてきます。 学名が呪文のようなラナンキュラス ラックス…

冬の運河のヒドリガモ(2)

ヒドリガモが人目を気にしなくなり、ゆっくり水辺で過ごしている姿も見慣れたものになりつつあります。彼らが羽繕いする姿を遊歩道からゆっくり見ることができ、石についた緑藻を嘴でつつき、食べる姿もゆっくり楽しむことができます。冬の日差しの中のヒド…

冬の運河のヒドリガモ(1)

既にカモ科のヒドリガモ(緋鳥鴨、Mareca penelope)について記したが、このところの行動変化が著しい。ヒドリガモは日本で最も普通に見られるカモで、湖沼、河川、湾に渡来します。オスの成鳥は額から頭頂がクリーム色で、顔から頸が茶褐色、胸は薄い茶色。…

冬の紅バラ

「ドルトムント」はバラの名前だが、「バラ」もバラの名前。すると、「バラ」も「ドルトムント」もバラの名前で、系統分類のシステムの中でバラはもっと細分化され、それに応じた名前をもっている。ところで、『薔薇の名前』はウンベルト・エーコが1980年に…

「冬青」

昨日ソヨゴの赤い実について記したが、「冬青」の読み方は「そよご」、そして「とうせい」の両方があり、いずれも正しい。冬青(そよご)は「モチノキ科の常緑低木」であり、冬青(とうせい)は「冬青(そよご)の別名、モチノキの別名」である。また、冬の…

相馬御風

(これまでの相馬御風に関する10回分の投稿をまとめたもの) (1)越後出身の早稲田の人々:素描 越後の三人の文学者の間には込み入った因縁があるように思われてならない。どこかで繋がり、その繋がりが捻じれ、彼らの人生を決めてきたような気がしてならな…

1月のノースポールの花

冬に咲く白菊として知られるノースポールギク(Mauranthemum paludosum)は日本に1960年代に日本に移入され、真白の北極を思わせる花から「ノースポール」という名前で親しまれるようになりました。 ノースポールの和名は「カンシロギク(寒白菊)」、別名は…

ソヨゴの赤い実

モチノキ科のソヨゴ(戦、冬青)は常緑小高木で、別名はフクラシバ。波状の葉が風に揺れ、「そよぐ(音を立てる)」ことから命名された。常緑樹の中では葉色が明るく、6月頃に目立たない白い小さな花をつける。湾岸地域では公園や庭の植栽に利用され、あちこ…

ヒスイ再発見の大きな謎

日本史の中に登場するヒスイは謎だらけですが、私にとっての大きな謎はヒスイ再発見についての相馬御風の沈黙です。『野を歩む者』などで故郷を積極的に描き、述べていた彼がヒスイとその発見については一切何も述べていないのです。 1938(昭和13)年、相馬…

1月のサクラの花

ゆりかごめ本社は東京ビッグサイトの裏側にありますが、入り口付近が最近ようやく整備され、何種類かの桜の木を見ることができるようになりました。その一つが晴海橋公園のジュウガツザクラ(十月桜)と同じで、やはり今花が咲いています。ジュウガツザクラ…

ウメの開花

ウメ(梅)は寒い早春から春にかけて香りのよい花を咲かせます。子供の頃の私にはウメは梅干しの実がなる木で、どの家のウメの木も実を収穫するための実用的な木でした。ウメが花を観賞するための木であることを知ったのは私が中学生になってからで、私の梅…

『野を歩む者』と軍人との書簡など

相馬御風が『還元録』を書いて郷里の糸魚川に戻ったのが1916(大正5)年。既に結婚していた御風には既に4人の子供があった(長男(1910生)から四男(1915生))。今様に表現すれば、御風は帰郷者で、妻や少なくても2人の子供たちは移住者だった。さらに、御…

1月のカネノナルキの花

カネノナルキ(金のなる木)は昭和を代表する観葉植物。かつて下町の路地でよく見かけたが、今は随分と減ってしまった。カネノナルキはベンケイソウ科クラッスス属で、南アフリカに分布する多肉植物。園芸名はカゲツ(花月)、和名はフチベニベンケイ(縁紅…

1月のナンキンハゼの白い実の並木

私は秋のナンキンハゼが好きで、昨秋も随分と楽しませてもらった。紅葉や黄葉の色は、アントシアニン、クロロフィル、カロテノイドの三種の色素によって決まる。アントシアニンは多くの植物に含まれ、植物の花や実などの赤や青、紫など幅広い色を生み出す。…

相馬御風と高村光太郎

相馬御風と高村光太郎は同じ1883(明治16)年生まれです。若き御風は明治末に与謝野鉄幹・晶子の新詩社に加わり、そこで高村光太郎と初めて知り合います。高村光太郎の父は有名な高村光雲で、光太郎は1906年からニューヨーク、ロンドン、パリにそれぞれ1年強…