2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

時間の向き

時間を特徴づける表現には次のようなものがあります。 「方向」、「矢」、「非対称性」、「非等方性」、「流れ」 よく出される問いの一つは時間そのものについてのもので、以前と以後、過去と未来の間の違いは何かといった問です。別の問いは、時間のなかに…

ヤマボウシとハナミズキの実

ヤマボウシ(山法師)は、日本から中国・朝鮮半島に分布する落葉高木で、山地に自生し、高さは5~10mです。白い花びらに見える総苞片(そうほうへん)が坊主頭と頭巾に似ていることから、「山法師」と名付けられました。総苞片の美しさや育てやすさから街路…

古典力学の時間とカントの認識の時間、そして、その後の時間

ニュートンによる宇宙の絶対静止点の考えは実験や観察では確かめることができなく、ニュートン的な時空を構造過多にする。一方、ライプニッツの時空は構造過小で、ニュートンによる絶対回転運動に説明を与えることができない。 オイラーはニュートンの絶対空…

アキグミの実

アキグミ(秋茱萸)はグミ科グミ属の落葉低木。日本中に自生するグミ科の落葉樹。最近は庭木として使われ、湾岸地域の公園でもよく見かける。若い葉の裏側は白銀の毛で覆われ、光沢があるのが特徴。花ははじめ白色で、しだいに黄色を帯びてくる。 アキグミと…

時間の実在:マクタガート

時間的な存在と空間的な存在とを同じように考えることには問題があると見抜いたのが、マクタガート(John McTaggart 、1866-1925)である。そこから彼が到達した結論は、「時間は実在しない」というものだった。この結論に至る彼の時間に関する分析を見てみ…

マルバシャリンバイ(丸葉車輪梅)の紫黒色の実

湾岸地域では排気ガスに強く、刈り込みにも耐えるバラ科のマルバシャリンバイとシャリンバイが公園や歩道に植えられ、さながら植栽の定番として重宝されている。ウメに似た花の開花は4月に始まり、今は実が紫になり始めている。葉が枝先に車輪状に集まり、花…

時間の形而上学:絶対的時間と関係的時間

容器とその中味は分離でき、それぞれ独立した別のものだろうか。普通の容器、例えば一升瓶はその内容物である日本酒からは独立している。だが、時間の場合はどうか。時間はその中で起こる事物の存在や本性とは独立にそれ自身の存在や本性をもつのだろうか。…

ウバメガシのドングリ

ドングリ(団栗、無食子)は種子ではなく、堅い果実である(堅果)。広義にはブナ科の果実の俗称で、クリもドングリの仲間。ドングリの形状は様々だが、ブナ科の果実の共通の特徴として、先端はとがり、表面の皮は硬く、上部はすべすべして茶色である。 画像…

アウグスティヌス(354-430AD)の時間観

時間を哲学的に分析しようとすると、必ずアウグスティヌスの考えが取り上げられる。彼の時間についての発想・理解が現代の私たちにも通じているからである。アウグスティヌスが時間について現代的な考えをもっていたことは、次の二つのよく似た問いを比較す…

マツヨイグサの仲間たち

月見草、宵待草と呼ばれて文学と縁の深かったのがマツヨイグサ属の花々で、9月下旬になってもあちこちで咲いている。それらはマツヨイグサ、コマツヨイグサ、メマツヨイグサ(アレチマツヨイグサ)、オオマツヨイグサ、ヒルザキツキミソウ、ユウゲショウなど…

時空についての過去の議論をまとめると…

日常生活での時空概念は多くの常識からなっている。時間や空間の常識は次のように様々に表現されてきた。 空間は実は何もなく、ものが占めている部分でしかない(void, pneuma)。 時間は流れる(flow)。 過去、現在、未来がある(past, present, future)…

秋の七草:メモ

秋の七草はハギ、クズ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、フジバカマ、オミナエシ。秋の七草の始まりは万葉集に収められている山上憶良の次の歌。 秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女…

時間に関する三つの基本的な問題

時間(と空間)は世界の(因果的な)変化を考える上で欠かせないものと考えられ、ギリシャ時代以来哲学の格好の研究対象となってきた。物理学での変化は、例えば物体の時空上の位置変化として表現されるが、そこで鍵となるのは時空概念そのもの。確かに経験…

トキワヤマボウシ「サマーグラッシー」の赤い実

トキワヤマボウシ(常盤山法師)、あるいはホンコンヤマボウシ(香港山法師)は常緑のヤマボウシ。ミズキ科ミズキ属の植物は40種ほどあり、北半球の温帯に分布。日本にもヤマボウシやミズキなど6種が自生し、北アメリカ原産のハナミズキも同じ仲間。常緑ヤマ…

水を感じ知ること

彼が水を意識したのは暑い夏の午後だった。とても暑い日で、遊び疲れて外から戻った彼の眼にまず入ったのは土間の大樽で、中に水が一尺ほど張ってあった。この樽は米を研いだり、豆を洗ったりするのに使われていた。 四歳の子供には大きな樽で、中に入れば泳…

ヤマハギ:秋の七草

マメ科のヤマハギ(山萩)は山に普通に咲くハギ属の一つで、日本各地の山野に生える落葉半低木。秋の七草の一つとして古くから日本人に親しまれてきた。『万葉集』にも萩を詠んだ歌が130首以上収められている。ハギは秋の七草だが、草ではなく木である。全国…

ジャカランダの青紫の花

ジャカランダの花は「青い桜」とも言われ、花が散るとあたり一面を青紫の絨毯で埋め尽くすところも、桜の花にそっくり。青紫の神秘的な花をつけた姿はホウオウボク(鳳凰木)、カエンボク(火炎木)と並んで「世界三大花木」の一つと称賛され、シウンボク(…

クズ:秋の七草

雑草中の雑草は何かとなれば、私ならクズとヤブガラシを挙げる。両者の優劣はつけ難いのだが、クズの方が目立つというのが私の印象。クズはつる性の半低木で、北海道から九州までの山野で普通に見られる。基部は木質、上部は草質となり、長さ10mに達し、時に…

セザンヌ:風景画と山水画の統合(2)

雪舟の「秋冬山水図」と等伯の「松林図屏風」は共に代表的な山水画。セザンヌがそれらをどう評価するのかずっと気になっている。世界とその表象や描写についての西欧での経緯はつまるところ、次のようなもの。3次元空間を正確に2次元画面に描写、写生するに…

ツマグロヒョウモンの翅

ツマグロヒョウモンは野原や公園などに広く生息し、都市ではヒョウモンチョウの中で最も見る機会が多い。南方系のチョウで、幼虫がパンジーなどスミレ類を広く食べることから園芸植物にまぎれて広がった。また、地球の温暖化もこのチョウの隆盛に一役買って…

セザンヌ:風景画と山水画の統合

自然を措いた絵画といえば「風景画」、あるいは「山水画」。どちらも自然の風景を描いているが、ヨーロッパの風景画と中国の山水画では大きな隔たりがある。風景画はルネサンス以前にはなく、それに500年は先行する山水画は自然を万物を生み出す源として描く…

トケイソウの花と実

フェンスに蔓が巻きつき、丸い時計の文字盤のような花が幾つも見え、実に壮観である。今年もトケイソウが繁茂し、既に色づいた実も見える。私には機械論の象徴だった時計のイメージが強く、美しい花というより、デカルト風に「植物機械論」を連想してしまう…

政岑と政令

(1)榊原政岑(まさみね) 彼は榊原家宗家の第8代当主で、播磨姫路藩の第3代藩主。榊原家の分家で、旗本1000石の榊原勝治の次男として生まれる。享保16(1731)年に家督を継いだ兄が亡くなり、1000石の家を継ぐ。その翌年、本家の榊原家の榊原政祐(まさす…

ヘメロカリス、あるいはノカンゾウ

ヘメロカリスはユリ科の多年草(現在は独立したヘメロカリス科として扱う場合も多い)で、ニッコウキスゲ、ノカンゾウ、ヤブカンゾウ、ユウスゲなどがこの仲間の野性種として知られている。一般に、ヘメロカリスといえば、品種改良した園芸品種を指す。ヘメ…

視点の逸脱:雪舟と等伯

実在や表象について「主観的」と「客観的」とは紙一重で、二つの峻別は的外れ、というのが昨日の結論だった(「主観」と「客観」は直面と仮面に似ている。「主観的である、客観的である」の二つの状態しか意識の状態はないのかと問われれば、通常の知覚経験…

サンゴジュの赤い実

今年はサンゴジュの花を見過ごしたが、赤い実は見ることができた。サンゴジュは関東地方以西の本州、四国、九州及び沖縄の主に沿海地域に自生するスイカズラ科の常緑広葉。私は自生するサンゴジュを見たことがないが、公園などに植えられているサンゴジュは…

「おまん」雑考

夏目雅子主演の映画「鬼龍院花子の生涯」の「わては高知の侠客、鬼龍院政五郎の、鬼政の娘じゃき、なめたら、なめたらいかんぜよ!」は、映画の最高の場面での最高のセリフ。土佐弁での「おまん」は、男が女に対して使う場合がほとんどで、目上に対しては使…

主観、客観、あるいは、直面、仮面

私たちは見るもの、聞くものを所与のもの(the given)、生の情報やデータ(raw information, raw data)としてそのまま直接に受け取る。兎に角、まずはそれらに気づくのである。気づいたものについて疑うのは受け入れた後である。わかるものとそうでないも…

アゲハチョウの心(?)

古代世界の人々なら植物の心は普通の存在だったろうが、今の私たちは植物に心があるとは思っていないだけでなく、多くの動物についても心を認めないだろう。哲学の世界では人にさえ心を認めない思想が市民権を得ている。 アゲハチョウの行動を見ていると、花…

英語とフランス語、そしてラテン語

妙高の方言と標準語の間の差は僅かなものだが、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語はいずれもラテン語の方言だった。では、そこに英語を入れるべきなのか?ラテン語は大変合理的な言語で、綴りと発音が一致し、文法がしっかりしている。何し…