妙高の方言と標準語の間の差は僅かなものだが、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語はいずれもラテン語の方言だった。では、そこに英語を入れるべきなのか?ラテン語は大変合理的な言語で、綴りと発音が一致し、文法がしっかりしている。何しろ現在は使われていない死語であるから発音など気にしなくてよい。文法を身につければ日本人でさえ簡単にマスターできる。では、現在の国際語である英語とラテン語はどのような関係にあるのか。
ヴァイキングの攻撃に困ったフランス王シャルル3世は、911年ヴァイキングの首領ロロにセーヌ川の下流地域全体を与え、ノルマンディーの沿岸防備の任務を負わせた。ノルマンディー公となったロロは領地を現在のノルマンディー地方の大部分にまで拡大。移住してきたノールウェー人やデーン人はキリスト教に入信し、フランス語を用いるようになる。六代目のノルマンディー公ウィリアム(11世紀中期)は、次のような経緯でイングランドを手に入れることになる。当時のアングロ・サクソン王エドワードの母は、ノルマンディー家の出身で、エドワードとウィリアムは旧知の仲。エドワードには子がなく、彼は自分の死後王位をウィリアムに譲るという約束をするが、エドワードの死後、彼の直臣の子ハロルドが、エドワード王の遺言と称して王位についてしまう。そこで、ウィリアムはイングランドに進攻。1066年、彼はヘイスティングズの戦いでハロルドを打ち破り、イングランドを征服する。彼はイングランドを統治するに当たり、アングロ・サクソン人の1割にも満たないノルマン人の立場を守るために、ノルマン人に有利な法令を制定した。短期間のうちに、全土で徹底的な征服活動が行われ、上位聖職者も含めた支配者層がノルマン人になった。ウィリアムはノルマンディー公としてフランスにも領地を持ち、フランス王の臣下でもある、ということになった。
ウィリアム王の征服以来、イングランドには多くのノルマン人が流入したが、宮廷や貴族社会で使われた言葉は当然フランス語。13世紀までは、フランス語がイングランドにおける公用語だったし、文学でもフランス語の単語や表現が豊富に取り入れられ、その多くが次第に一般民衆の日常語の中にも浸透していった。フランス語の英語に対する全般的な影響は極めて大きく、フランス語の単語は英語の語彙の半分を占め、特に概念表現はフランス語に大きく依存することになった。
こうして、英語はフランス語を介してラテン語につながったのである。