最近のカタカナ表現を読み解きながら…

 日曜の朝のラジオ体操の「頭の体操バージョン」として、カタカナ日本語をランダムにピックアップし、レヴューしてみよう。この文が心地よく聞こえる理由、耳障りの雑音に聞こえる理由は人それぞれだが、それにしても「カタカナ訳語」が増えたものである。ランダムに例示してみよう。

 

 「食品ロス」はニュースでもよく登場するが、「食品損失」と言い直す人は少なくなった。「オーガニック食品」は定義が厄介だが、「有機農法でつくられた食料でつくられた商品」と杓子定規に表現すると、何とももどかしい。

 「コットンバックなどのエコグッズ」は「綿でつくられたトートバック(ものを入れて運ぶ目的で使用するバッグ)などの(地球への)負荷の少ない商品」では中途半端。風呂敷や籠のような運送用の入れ物のことで、風呂敷も籠も制作のための負荷は少ない。

 デポジット瓶はドイツではスーパーに返却する瓶のこと。返却すると「デポジット(預り金)」を受け取れるため、そう呼ばれるようになったが、日本ではもっと融通の利く使い方がされているようである。

 イートインはビルトイン(造り付け)に似ているが、立派な和製英語。買った食べ物をその場で食べることができる店を指しているようである。ビュッヘも日常語になっているが、本来はフランス語で立食形式での食事を指していた。「立ち食い」のことだとなると、興醒めは否めない。

 グランドオープンとなれば、私などはパチンコ屋の「新装開店」を連想するが、正式には「正式の開店」を意味している。

 「エシカルなエコ商品」は地球にも人間にも有益な商品のように耳に響く。ethical(倫理的な)は最近「エシカル消費」、「エシカル商品」のような形で使われることが増えている。地球環境や、人、社会に対して配慮されたものを消費すること、あるいはそのような商品のことを指しているらしい。こうなると、普通の商品は「反倫理的(アンエシカル)」な商品になるのかといった疑問が思い浮かぶ。

 

 こんな例示を通じて、私の日本語は昭和の日本語だとつくづく実感した。令和の日本語がどうなっていくのか考えるのも億劫だが、誰もがまずは英語起源のカタカナ訳語が大幅に増え続け、アメリカが繁栄を続ける限り、その傾向は続くと推測するだろう。カタカナ訳語の増加は私たちの言葉を、そして思考をどのように変えていくのだろうか。