2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧
人は我が儘で、時には自分だけであることに執着し、時には自分だけであることを忌み嫌う。他人と一緒であることを望んだかと思えば、一人になりたいと訴える。その時々の気分次第で目まぐるしく変化する。それに応じて、人は社会的動物として共同生活する生…
これからは雑草との戦いだが、雑草を制するには同じ植物でというのがグランドカバー作戦。グランドカバーは花壇や通路の土が見えているスペースを埋めてくれる植物で、日本で最もよく目にするのが芝生、そしてシロツメクサ(クローバー)。シロツメクサの白…
(1) 私たちの原始的な感情に形を与えるのは表情や身体表現であり、その結果私たちがもつ怒りや悲しみは感情という形式の表現として(私たちの心の中に)存在することになります。「怒り」という感情は、怒っている人間の表情や声の出し方や身ぶりを模倣す…
田舎の家の裏庭に群生していて、祖母が愛用していたのがドクダミ(蕺草、蕺)。別名はドクダメ(毒溜め)、ジュウヤク(十薬)、ジゴクソバ(地獄蕎麦)など。ドクダミ全体に独特の香りがあり、子供の頃はこの臭いが嫌いだった。毒を抑えることを意味する「…
既に多くのご当地ソングがあり、新民謡についても言及した。故郷を殊更に謳い上げる必要などないのだが、故郷を謳うとなれば文部省唱歌だった「故郷」が浮かんでくる。特定の地名が登場せず、日本中どこにでもあったような風景が謳われている。故郷を祖国と…
人は特定の観点や立場を決めないことには、物事について述べ、意見を主張し、議論し合い、結論を得ることができません。眼前の所与、つまり手元にある(見たり、聞いたりした)感覚的なデータを目安にして自らの観点や立場をまずは決めるということは大変人…
ヒレハリソウはムラサキ科ヒレハリソウ属の多年生草木で、別名は英語のコンフリー(Comfrey)。コーカサス地方が原産で、明治中期に渡来し、健康食品や薬用として栽培されてきた。全草にアルカロイドを含む。生の葉を染料に使ったり、捻挫などの外用薬として…
擬似科学概念(pseudo scientific concept )があやふやで、得体が知れないところがあっても、この概念こそ私たちの生活世界を支えている最も重要な代物だと今日の「擬似科学概念」で述べました。その代表的な例が生物の名前であり、「ビョウヤナギ」も「キ…
タイトルは「擬似科学概念」となっていますが、「擬似概念」でも「擬似科学」でもなく、「擬似的な科学概念(pseudo scientific concept)」のことです。擬似科学概念は多岐にわたりますが、「個性、種差、生物多様性、外来生物、地球温暖化」などがここで話…
梅雨の前の野原には多くの花が咲いている。今目立つ花の一つがカタバミ。それもムラサキカタバミが湾岸に咲き乱れている。ムラサキカタバミ(紫片喰、紫酢漿草)、別名はキキョウカタバミ(桔梗片喰)で桃色の花が特徴。南アメリカ原産で、江戸時代末期に観…
日本のコロナ対策は欧米には謎に見えるようだが、肝心の私たち日本人にも謎そのもの。流行小休止の今、その謎解きを試みてみたい。まずは何が問題かのメモ。 スウェーデン公衆衛生局は首都ストックホルムの住民に抗体検査を行い、抗体保有率が7.3%だったと…
公園や歩道に最近増えたのがハナミズキ。私はあまり好きになれず、敬遠気味。それに対してヤマボウシ(山法師)はなぜか見ていて落ち着くのである。ヤマボウシはミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木で、日本から中国・朝鮮半島に分布する。日本では沖…
既に何回も「無知の知」や「知の知」についてくどくど考えてきた。それは私だけでなく、多くの人が試みてきたことでもある。それらをまとめて、私の心の内だけでもスッキリさせたい。 (1)知っていることを知る(知の知) (2)知っていないことを知る(無…
学校教育だけでなく、そもそも教育という名のもとに教えられ、学び、そして知るものはいずれも徹底して過去のもの。それらは過去に別人が見出し、知ったもの。既に知られ、確認されたものが教えられ、伝えられてきました。教師が教えるものは昔の人たちが獲…
ツツジ科スノキ属のブルーベリーは北アメリカ原産の果樹の総称。日本には1951年に入ってきた。営利栽培が始まったのが1968年。アメリカではブルーベリーは食生活に欠かせない存在で、ブルーベリーパイはアメリカ人の大好物。どこの家庭でも普通に作るパイで…
人は視覚的な動物だと言われてきたが、視覚を巧みに利用した一つが園芸植物。特に、花は視覚に訴える格好の部分で、それを上手に援用したのが私たち。以前にキキョウソウやヒメキキョウソウが美しいことを述べたが、彼女たちの美しさは慎ましく、私たちが見…
「ニワトリが先か卵が先か」というお決まりの難問を考えるつもりが、外出自粛のためか、すっかり脱線してバトラーの『エレーホン』と芥川の『河童』にふらふら踏み込んでしまいました。この問に対する解答「A hen is only an egg's way of making another eg…
雪の中の花は文字通り「雪中花」だが、それはスイセンのこと。「雪中梅」となれば、人は上越の酒だと即断するが、『雪中梅』は、末人鉄腸の有名な政治小説。この小説の初版は明治19年。酒の「雪中梅」は昭和初期にでき、雪の中に咲く梅の花のような穏やかな…
コバンソウ(小判草)は地中海沿岸を原産とするイネ科の一年草です。明治時代に観賞用として渡来し、現在は野生化していて、道路の端や荒地・原野に生息しています。和名が示すように、まさしく小判によく似た花穂が特徴。春に柔らかくて細いみどり色の葉を…
ジギタリスはゴマノハグサ科に属し、Digitalis(ジギタリス)はラテン語の「digitus(手袋の指)」が語源。和名の「狐の手袋」は、英名「Fox glove」の直訳。今満開の美しい花姿から広く愛されているが、実は全草にジギトキシンなどの強心作用のある毒性物質…
私たちの生活世界を私たちは物語として理解しながら生きています。物語は科学的な説明と違い、原因と結果、目的と達成の二つの原理から成り立っている説明です。人の一生も物語ですから、そこから歴史も物語であることが想像できます。「親子、家族、人生、…
ブッダの仏教に美術はないが、それが大乗仏教にシフトすると、仏像、仏画、仏具、そして寺院がつくられ、豊かな仏教美術が花開くことになる。「美のための美」ではない宗教美術をどのように理解するかは未だに私には難題でしかない。子供の頃によく聞いた「…
今のところ、人が作り出した生命体はない。自然の所産に人が部分的に手を加えたに過ぎない。犬も馬も、そして園芸品種も私たちがつくったものだが、どれも部分的な改変に過ぎない。とはいえ、私たちは見かけの姿に手を加えて、自然とは違う形態を生み出して…
現在はトルコ領内のミレトスで生まれたターレス(624-546 BC)は、気候や天体の変化は神ではなくて哲学者や科学者が説明すべきだと考えました。ターレスは物質がすべて水からできていると誤解しましたが、どんなものも同じ一つの基本的なものからできている…
山の栗と屋敷の栗が違うことを子供の私は知っていたが、山の桑と里の桑の違いは知らなかった。だが、それが大した違いではなく、一方を知っていれば他方も似たようなものだということを知ったのは大人になってから。ブナ科クリ属のクリがシバグリ(柴栗)ま…
科学革命の中でつくられ、20 世紀初頭までに醸成され、今でも中高校で教えられている自然観は次のようなものである。 <空間> 宇宙空間には上下を区別するような特別の方向は本来存在しない。上下の区別ができるのはそこに何らかの物体(たとえば地球)があ…
人が言葉に関わるゆえに、言葉は混乱するが、それが言葉の宿命。最近のコロナ禍では実効再生産数R(=(1-e)R0)が注目され、R0とRでは人のかかわり方が随分と異なる。基本再生産数R0は対象としての人のもつ値で、ヨーロッパの第一波での値は2.5。私たちが自粛…
ニオイバンマツリもハコネウツギも二色の花が咲いているように見えながら、実はそうではなく、花の色がある色から別の色へと変わっていたのです。これは時間をかけて観察を続けないとわからないことで、感覚が信用できないのではなく、時間を置いた観察を続…
ニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)は、ナス科の常緑樹で、南アメリカ原産。この辺は今咲き誇っています。漏斗状の花弁で5弁に開きます。花は咲き始めが濃い紫色で、次に薄い紫色、最後は白色になり、強い芳香があります。和名の匂蕃茉莉は、匂(香り)があり、蕃…
同じ木の枝に二色の花が咲き、紅白が競うように咲くと、「源平咲き」と呼ばれ、それはウメだけでなく、モモ、ツバキ、ツツジ、ボケの仲間にもあります。本来は赤い花の木なのに、赤い花に必要な酵素が働かなくなることで白い花になってしまうのです。こんな…