正月は書初め。そして、書といえば越後の良寛。その良寛が人々の注目を浴び出すのは、意外にも大正中期以降のこと。それには相馬御風の研究と著作が大きな役割を果たした。糸魚川出身の御風は高田中学で小川未明と、そして、早稲田大学で新潟出身の会津八一とも同期で、坪内逍遙、島村抱月らに薫陶を受け、彼の良寛論(『大愚良寛』春陽堂、1918、その他)によって良寛は現代に生き返ることになった。御風は早大、日大の校歌、童謡「春よ来い」の作詞者でもある。
良寛は1758年越後出雲崎の庄屋の長男に生まれ、18歳で出家、備中玉島の円通寺で参禅修行し、印可を受けた。全国行脚の後、故郷の地で草庵に身を寄せ、自適の生活を送る。和歌、漢詩、書に優れた作品を多く残している。良寛の「本来無一物」という禅の教えに徹し、そこに無垢で清々しい境涯が生まれた。良寛は行動も自由自在、子供たちとすべてを忘れて遊び続ける無邪気さをもっているが、厳しい禅の修行をした禅僧でもある。そして、良寛は浄土真宗にも深い共感と理解を示している。
良寛に 辞世あるかと 人問わば 南無阿弥陀仏と 言ふと答えよ
草の庵(いお)に 寝ても覚めても 申すこと 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
我が後を 助け給へと 頼む身は 本の誓ひの 姿なりけり
(私が頼むこと自体が弥陀の誓いによって成就することから、親鸞の「如来より賜りたる信心」のこと)
融通無碍で、自由な良寛は般若湯(酒)も嗜み、乞食で山を下りる時は懐に手まりを入れて日暮れまで子供たちと遊び、まり突きやかくれんぼをしていた。
この里に 手まりつきつつ 子供らと遊ぶ春日は 暮れずともよし
さて、話を御風に戻そう。糸魚川歴史民俗資料館(相馬御風記念館)傍に御風の文学碑があり、そこには『還元録』(1916、御風33歳)の一節が刻まれている。彼は『還元録』に「ふるさと」回帰のいきさつを著し、友人に配り、糸魚川に帰る。
御風の碑に刻まれている歌は弘法大師空海が弟子の智泉が亡くなった時に詠んだものと伝えられている。御風は自らの心身の苦悩に対し、真言宗の教えと自分のふるさとを重ね合わせた。
阿字の子が 阿字のふるさと 立出でて また立返る 阿字のふるさと
(あじのこが あじのふるさと たちいでて またたちかえる あじのふるさと)
(この世は、かりそめの宿みたいなもので、帰るべき場所は阿字の心の中である。私たちの誰もが元々は阿字の世界にいて、修行のためにこの世界へ生まれ出で、そして再び阿字の世界に戻るのだ、という真言宗の教えを詠んだ歌である。)
阿字(あじ)はサンスクリットの最初の文字で、万有の根源を象徴している。密教では宇宙を法身(真理そのものとしてのブッダの本体のこと)とみなし、阿字はそれを象徴する文字で、胎臓界大日如来を意味している。密教では、阿字はすべての梵字に含まれており、宇宙のどのような事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれていると考える。だから、大日如来は「森羅万象」、「宇宙」、「いのちが循環するそのもの」を象徴する仏で、「阿字」はその大日如来を指す。それゆえ、阿字は「大日如来の子どもたちが、大日如来のふるさとからやってきて、地球上で生命をもつ存在として生活し、その役目が終わると、また大日如来のふるさとに戻っていく」という密教の世界観を表現している。密教では大日如来が宇宙であり、宇宙の真理であり、すべての命あるものは母なる大日如来から生まれ、釈迦如来を含む仏はすべて大日如来の化身だと考える。