木瓜の花:漱石とハーン、そして、未明

 「寒木瓜」は晩冬、「木瓜の花」は晩春の季語。1897(明治30)年熊本で英語教師だった頃の漱石は、「拙を守る」(不器用でも愚直に生きる)ことを自らの人生の第一義としたことを句に詠んでいます。

木瓜咲くや漱石拙を守るべく(夏目漱石

 漱石ラフカディオ・ハーン小泉八雲)は熊本では英語教師でしたが、二人には17歳の年齢差があります。その年齢差を追いかけるかのように、ハーンの後を漱石が辿っているように見えるのです。ハーンは1891年に熊本の第五高等学校に着任し、1894年に神戸へ移ります。その2年後の1896年、漱石が第五高等学校に英語講師として着任します。その同じ年にハーンは東京帝国大学文科大学講師になります。ところが、1903年ハーンは突然解雇されます。ハーンの講義は人気が高く、学生たちは留任運動を起こしますが、ハーンの後任として漱石が講師となり、ハーンは早稲田大学に移ります。まるでハーンの後を追うかのような漱石の動きです。早稲田でもハーンの講義には多くの学生が出席します。早稲田で熱心にハーンの講義を受け、ハーンの文学を卒業論文にしたのが小川未明でした。残念ながら、僅か半年ほどで、ハーンは突然亡くなります。

 漱石もハーンも「お化け」が大好きでした。未明の代表作の一つが「赤い蝋燭と人魚」で、やはりお化けに関係していました。

 ボケの花 寒さの中で 色締まる