沈黙の未明

 相馬御風は故郷へ戻ることを決意し、それを『還元録』に記したが、肝心の理由については沈黙したままだった。また、戦中、戦後の糸魚川の「ヒスイ」の発見に自ら関わりながら、やはり沈黙を守った。彼の二つの沈黙についての理由はなんとか推測できるとしても、御風の先輩の小川未明が自らの二度の転向について沈黙を通したことは私には謎そのものなのである。未明が転向について一切語らず、漱石のように登場人物の躊躇や悩みとして作品上で語らすこともせず、性急に言い訳なしに次の行動に移ったことが私にはわからないのである。白から黒への変節にも見える転向について未明が一切釈明せず、沈黙したことと彼の性急で、短気な性格の間には密接なつながりがある気がするのだが、大きな謎のままなのである。

 小説作品を読み、味わい、鑑賞することはその作者を知ることとは違う。何とも人間的だと思うのは、誰が書いたか、創作したかがいつも不可避的に作品につきまとっていることである。いつの間にか、作者不詳の名作などなく、何が書かれているかと並んで、誰が書いたかが文学にとって不可避の重大事になっている。こんなことは古典作品では誰も重要視しなかった。

 小川未明が私のふるさとの先輩であり、童話作家であるという情報は、実は彼の作品を味わい、評価するには余計なもので、作品の評価に作者についての知識は必要ないというのが表向きの正論である。だが、童話の選定は大人によってなされ、読者である子供たち自身の評価と大人のそれは随分と違う筈なのだが、それはしっかり反映されてこなかった。大抵の大人は作者が誰かに強い関心をもち、それが子供に誰の童話を読ませようかという選択基準になってきた。だが、作品に直接関わることに作者が何者かなど無関係だというのが無意識になされる子供の立場であり、そこでは作者の思想や信念が作品評価にどれだけ相関しているかは関係がない筈である。

 中国に禅を伝えた達磨が傲慢な武帝と問答し、武帝が「如何なるか聖諦(しょうたい)の第一義(仏教最高の真理は何か)」と尋ね、達磨は「廓然無聖(かくねんむしょう)(カラリとして聖なるものなし)」と応じ、そう答えるのは誰かと問う武帝に、達磨は「不識(ふしき)(知らない)」と答える(『碧巌録』第一則)。達磨はなぜ「不識」と答えたのか。漱石の「坊ちゃん」を読んで、作者は誰かと問われたら、達磨はどう答えるだろうか。達磨が「不識」と答えた理由は、作品の意味を知るのに作者が誰かなど知る必要はなく、それは仏教の真理を知るのに誰が答えるかと似たことであり、それゆえ、達磨は「不識」と答えたのである。そして、謙信が問われた「不識」への解答がこれだとすれば、納得できるのではないだろうか。蛇足ながら、この公案の「第一義」を「人生の第一義」と解釈したのが漱石。彼は「何の第一義」かを「人生の第一義」と定め、人生の最も重要な真理、つまり人生の第一義は「道義に裏打ちされた生き方」と考え、それを『虞美人草』で描いてみせた。そして、その際に漱石が小説で答えたことが重要ではなく、答えそのものが重要なのだというのが第一則についての達磨の主張だったということになる。

 そこで、達磨のように文学作品の作者、作家を知ることは雑音でしかないとタンカを切ったとしよう。その主張に従うならば、北斎や広重の浮世絵は作品そのものが重要で、それを描いた画家の態度、思想、人柄等を浮世絵自体の評価に使うことは誤っているということになる。すると、赤倉で亡くなった岡倉天心の美学、つまり絵画評価への疑問が出てくることになる。画家の絵画に対する思想や態度を重視し、高邁な精神をもたない絵画は一流ではないとした天心にとって、娯楽が表面に出た浮世絵は雑音を含んだ絵画でしかなかった。だが、印象派の画家たちはその浮世絵に惹きつけられ、それが新しい絵画への刺激となった。この議論を一層微妙にするのが文学、特に小説である。作家の思想は作品とは独立しているという主張に反対する人は美術の場合よりずっと多いのではないか。いわゆる純文学に関わる作家たちは自らの思想や心情と作品内容が深く、重く関わるべきだと思っている。そして、それはSF小説推理小説、映画やテレビドラマのシナリオなどの娯楽作品に関わる作家たちとは確かに異なっている。芥川賞直木賞の違いがそれを見事に物語っていい筈なのだが、いずれも作者の人間性が強く関わっている。娯楽作品に作家の心情や信条が無関係ということはなく、時には色濃くそれが表出される。絵画は言葉で描くものではないが、小説は言葉で述べるものであり、言葉は作家の思想を自ずと反映するのである。では、絵と書を一緒にした文人画などが工夫できそうだが、絵と書が一体化することがどのようなことかを私はうまく想像できないのである。

 郷土の画家、文人に対する価値判断をそこに育った人たちは自分でしていないのが普通だが、その人の作品を本当に知ろうとすれば、自分でその作品を味わい、しっかり判断するしかない。「不識」を前面に打ち出し、自分で「識」を見出すしかない。人に聞くのではなく、自分で識ることが不可欠で、その際、誰が言ったかなど不要なのである。

 さて、ここで再度二人の沈黙について考えてみよう。御風の沈黙はそれ程厄介とは思われない。単に解明に必要な情報が不十分というだけで、情報があれば説明できる類の沈黙である。御風の沈黙の解明に沈黙の意味は必要ないのである。だが。未明の場合、彼の思想と童謡との相関関係が実に厄介なのである。童話作家は純文学ではないとしても、童話は娯楽作品とも言い切れない。むしろ、子供たちに立派な大人になることを促すような内容が求められてきた。となれば、作品内容と作家の思想の関連が重要になってくるのだが、読者である子供にとって作者の思想はどれだけ関係があるのだろうか。実際、作者の思想など子供が考えるはずもなく、未明の釈明なしの沈黙も子供には何の意味もない。

 こうして、御風の沈黙は大人への沈黙であり、それゆえ、釈明できるが、未明の沈黙は子供への沈黙でもあり、それゆえ、子供への釈明は実に厄介となる。とはいえ、未明の沈黙の持つ大人への釈明の部分は可能だったのである。こうして、未明は釈明すれば、自らの転向を認め、それに応じた作家活動をしたと述べるか、沈黙を守り、作品を評価されるだけの黒子になるかという二つの選択があることになる。だが、皮肉だったのは、未明が沈黙を守ったまま亡くなり、未明の作品は作家としての未明自身の否定を含め、彼の名前を一層知らしめることになったのだ。