鷗外「山椒大夫」と未明「赤い蝋燭と人魚」

((1)「山椒大夫」に続く)

(2)「赤い蝋燭と人魚」

 小川未明は「日本のアンデルセン」と賞讃されますが、彼の「赤い蝋燭と人魚」(初出1921(大正10)年、未明39歳)は暗く寂しく孤独な呪文のような文章で、現在の散文的な事実からなる世界を描く童話とは随分異なっています。同郷だった相馬御風は「小川未明論」(「早稲田文学」、明治45)で「北国-わけても越後の自然は、驚くべく単調な、そして陰鬱な自然である‥‥半年以上は単調な灰色を以て蔽われた自然である。」と述べ、未明を「故郷の冬の世界を呪文のように描く」と評しましたが、御風の糸魚川以上に高田、直江津の暗い世界がこの童話の背景にあると思われます。越後の人魚の伝説、アンデルセンの童話が混淆し、それが暗く陰鬱な越後を背景に述べられ、それが呪文のごとき効果をもたらしているのです。その人魚は、例えば堀口大學の詩「人魚」(『砂の枕』1926(大正15)年)と大きく異なり、何とも越後風の陰鬱な世界なのです。

 小川未明の「野薔薇」は1920(大正9)年大正日日新聞に掲載されました。野バラが枯れることを通して、未明は権力や暴力に対抗しなければならないということを読者に伝え、自然に従う生き方を伝えています。自然に従うことはトルストイクロポトキンの影響を受け、抑圧と強制を強いる国家体制から逃れ、自然状態に戻るアナキズムの積極的な実践を意味していました。未明は野バラが不自然に枯れる場面を描くことによって戦争は強いられたものであり、それに反対する必要があり、それによって自然へ回帰できると主張しました。「野薔薇」はこのように要約でき、子供が一人で読んでも呪文には聞こえず、途中でも結末が何となくわかるのです。今の子供たちが読んでもこの童話の主張は明白です。でも、余りに優等生的な童話なのです。

 ところが、翌年1921(大正10)年の「赤い蝋燭と人魚」は「野薔薇」とはまるで異なります。「赤い蝋燭と人魚」は未明の1200を越える作品の中で傑作と言われていますが、冬の日本海の寒く暗い自然を背景にして、独特の文体で陰鬱な物語が語られます。「野薔薇」と違って、一人で読むのではなく、誰かが語るのを聞く方がずっと適しているように思われるのです。呪術や呪文と呼ばれるこの作品は既述の説経、浄瑠璃瞽女唄などを通じて聞く方が遥かに感情移入しやすいように思われます。

 鷗外の「山椒大夫」は私がそのあらすじをまとめても大きな支障はないのですが、史実としての説経節のシナリオを要約することは能や歌舞伎を言葉で説明することと同じようなもので、それが「赤い蝋燭と人魚」についても言えるのです。その意味で、「野薔薇」とはまるで違う、独特な物語なのです。そして、それは小説と昔の物語の違いでもあると述べました。未明の「赤い蝋燭と人魚」は彼の他の童話以上に、「お伽噺」に似ていて、現代文で要約することが童話の命を殺してしまうのです。それが「未明の童話は呪文、呪術」と呼ばれてきたことへの私なりの解釈です。要約された呪文は呪術には使えません。説経節瞽女唄を現代文で要約しても、肝心のパトスを伝えることができず、「赤い蝋燭と人魚」を私が要約しても、それは残骸に過ぎないのです。それが鷗外の「山椒大夫」との決定的な違いです。

 もう一つ重要なのは、明治以降の童話に関する変化と子供に関する変化です。そして、さらに戦後の童話や子供の概念の変化です。日本最初の児童文学「こがね丸」(巖谷小波)では、主人公のこがね丸は犬で、物語には動物しか登場しません。博文館は小波を編集長にして『少年世界』を刊行し、この雑誌に小波は子供向けの話を口語体で数多く書き、それらを「お伽噺」と呼びました。そこに大きな変化が起きます。それが「童話」の登場です。1918(大正7)年『赤い鳥』が刊行されます。漱石の弟子鈴木三重吉が子供のための雑誌を強調し、有島武郎芥川龍之介北原白秋島崎藤村らの賛同を得て、「お伽噺」を否定し、子供のための童話を提唱しました。また、文部省唱歌に対して提案したのが童謡でした。

 『赤い鳥』の打ち出した子供観は「良い子、弱い子、純粋な子」の三本立てで、私が学んだ妙高市の新井小学校の(戦後の)「よい子、つよい子、できる子」と似ていなくもありませんが、『赤い鳥』の子供観は大正時代の子供観でした。平和、平等、博愛などの基本にある善(good)をもつ良い子、弱い人を助け、共感する子、素直で実直な純粋の子というのが大まかな説明になります。その根幹にある理想の子供は「子供は無垢な存在である」という思い込みのようなものです。現在「子供は無垢な存在」と考える人は少ない筈です。あるいはルソーのように、生まれたばかりの子供は無垢でも、すぐに子供は変わると考える人がほとんどだと思います。未明も白秋も子供は素晴らしい存在で、「子供は無垢な存在」という童心主義を(少なくても大正時代は)信じていたようです。「弱い子」はわかりにくいのですが、ライバルの雑誌『少年倶楽部』が「強い子」を標榜し、男子中心の立身出世主義を表に出していたことを考えると、成程と合点がいくのです。

 未明の「野薔薇」は上で述べられている童話なのですが、「赤い蝋燭と人魚」は童話ではなく、お伽噺だというのが私の意見です。

 では、未明の傑作を考えてみましょう。「赤い蝋燭と人魚」は「人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたのであります。北方の海の色は、青うございました。ある時、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色を眺めながら休んでいました。雲間から洩もれた月の光がさびしく、波の上を照していました。どちらを見ても限りない、物凄い波がうねうねと動いているのであります。」という佐渡の荒波を思わせるような荒涼とした自然描写で始まります。「野薔薇」が顕界だけの物語だったのに対し、「赤い蝋燭と人魚」は冥界も含んだ物語だと示唆しているようで、私には慈円愚管抄を貫く冥顕の世界観、例えば『平家物語』や、未明の師だった小泉八雲の『怪談』の世界が浮かび上がってくるのです。

 北の暗い海で寂しく暮らし、上半身が人と同じで、優しい人間に憧れ、自分の子供にも美しい町で楽しく暮らしてほしいと願った人魚の女性は決断します。「せめて、自分の子供だけは、賑やかな、明るい、美しい町で育てて大きくしたいという情から、女の人魚は、子供を陸の上に産み落そうとしたのであります。そうすれば、自分は、もう二たび我子の顔を見ることは出来ないが、子供は人間の仲間入りをして、幸福に生活をするであろうと思ったからであります。」

 お宮(神社)は山の上にあり、その下に小さな町があるのは未明の父が創建した春日山神社を思い起こしてしまいます。その町中に老夫婦が営む蠟燭屋がありました。お宮にお詣りする漁師たちは老夫婦の店で蝋燭を買っていました。ある日、お婆さんがお詣りの帰りに人魚の赤子を見つけます。「可哀そうに捨児だが、誰がこんな処に捨てたのだろう。それにしても不思議なことは、おまいりの帰りに私の眼に止とまるというのは何かの縁だろう。このままに見捨てて行っては神様の罰が当る。きっと神様が私達夫婦に子供のないのを知って、お授けになったのだから帰ってお爺さんと相談をして育てましょう」とお婆さんは思い、お爺さんと相談し、育てることにします。二人は話に聞いている人魚に違いないと思いました。それでも、「いいとも何なんでも構わない、神様のお授けなさった子供だから大事にして育てよう。きっと大きくなったら、怜悧ないい子になるにちがいない」と二人は考えたのです。

 美しく育った娘は人前には出ず、お爺さんの作る蝋燭に赤い絵の具で絵を描き、それが海難除けになると評判になりました。ある時、南の方の国から香具師がやって来て、何度も人魚を売るように老夫婦に頼み、「昔から人魚は、不吉なものとしてある。今のうちに手許から離さないと、きっと悪いことがある」と言われ、つい金にも心奪われて、娘を売ってしまいます。娘は鉄格子のはまった箱に入れられ、「赤い蝋燭を自分の悲しい思い出の記念に、二三本残して」連れていかれました。

 さて、ここまでが「一」から「四」までの物語です。そして、最後の「五」こそ、私には神仏混淆の冥顕観が見事に表現された締めくくりに思えるのです。アンデルセンの「人魚姫」にはキリスト教的な世界観が背景にあるのに対し、未明の作品にはそれがないと言われてきましたが、人魚の売買が神を通じて人の社会に何をもたらすかを恐怖や畏敬を込めて描いているのが最後の「五」の節なのです。中世以来の冥顕思想が鬼や死者の代わりに人魚を登場させることによって御伽噺のように語られているのです。

 未明の故郷の高田には「人魚塚」という民話があり、未明は明治45年の「北方文学2号」でそれについて書いています。それ以上に、アンデルセンの「人魚姫」が強く影響していると思われます。「人魚姫」の翻訳は明治44年上田万年によってアンデルセンの25編の童話が翻訳された『安得仙家庭物語』(鐘美堂)に「小海姫」の題名で掲載されたのが最初です。その後、「人魚姫」は1920(大9)年に西条八十により翻訳され,「人魚ものがたり」のタイトルで『金の船』に掲載されます。未明は早稲田の後輩で、同じ童話作家西条八十が翻訳した「人魚ものがたり」を読み、大いに刺激を受けたのではないでしょうか。これまであたためてきた上記の越後伝説を重ね合わせ、「赤い蝋燭と人魚」を1921(大10)年2月の『東京朝日新聞』に発表したと思われるのです(残念ながら、私は未明がアンデルセンからどのような影響を受けたかの資料や記録を知りません)。越後の暗く陰鬱な冬の風景と呪文のような文章がアンデルセンの作品とは異なる独特の世界を描き出しています。

 

*昭和に入り、戦争が近づくと、未明は大きく転向します。その戦中の未明については既にある程度述べましたが、再度転向する、戦後の未明に関しては次のものを参照してみて下さい。

・1959(昭34)古田足日『現代児童文学論:近代童話批判』(くろしお出版)(未明らの近代日本童話からの脱却を宣言したもの)

・1966(昭41)上笙一郎『未明童話の本質-「赤い蝋燭と人魚」の研究』(その成立過程を多角的に追求)

・2002(平14)岡上鈴江『父 小川未明』(新評論、初版は1970)(岡江は未明の次女)