二つの詩への老人性妄想

 現代詩の夜明けと言われる『月に吠える』は萩原朔太郎の第一歌集。大正6(1917)年、感情詩社・白日社出版部共刊で、56編を収録。一方、「海ゆかば」は信時潔が昭和12(1937)年に作曲、歌詞は大伴家持の『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」から抜粋。

 文語定型詩から口語自由詩へ、短歌から新体詩へ、つまり、文語から口語へと日本語が変わることを具体的に示すのが上記の二例。文語は「書き言葉」、口語は「話し言葉」とまとめられるが、二つの作品の間にある20年の違いはそんな見かけの文語と口語の区別を謂われなき差別に変える。何を表現するかではなく、どのように表現するかに注目してみよう。

 『月に吠える』の「ありあけ」の一部、「海ゆかば」の一部を引用しよう。若者たちはいずれも文語と思うだろう。

 

ながい疾患のいたみから、

その顔はくもの巣だらけとなり、

からしたは影のやうに消えてしまひ、

腰からうへには藪が生え、

手が腐れ

身体いちめんがじつにめちやくちやなり、

 

海行かば 水漬く屍

山行かば 草生す屍

(海に行ったら、水に漬かった屍(死体)になり 山に行ったら、草の生えた屍になる)

 

 さて、二つの詩の一部を比較してみよう。饒舌な口語に対して、寡黙な文語となるのだろうが、言いたいことはいずれが明瞭だろうか?心象風景と客観風景と区別できても、寡黙な方が単純明解と誰もが思うのではないか。抒情的と叙事的という区別、心理的、主観的と物理的、客観的という区別もあり、二つの表現ははっきり違うと考えられるのだが、そこには何か嘘のようなものが入り込んでいると思えて仕方ないのである。心ある表現には自ずと作為が入り込み、見たままの表現はそのままのものと思われるのが常であり、その思い込みが文学を成り立たせる要素の一つになってきた。

 

ああ、けふも月が出で、

有明(*)の月が空に出で、

そのぼんぼりのやうなうすらあかりで、

畸形の白犬が吠えてゐる。

しののめ(*)ちかく、

さみしい道路の方で吠える犬だよ。

*「ありあけ」はAt Dawn、夜明け、「しののめ」はClosely at dawn、夜明け近くに

 老人が住む地域では「ありあけ」、「しののめ」は時間的な表現ではなく、空間的な表現で、有明、東雲となれば地名そのもの。地名と解釈してもさほどおかしくない詩文は、心理的内容が曖昧で、あやふやなものを含むことを端的に示してくれる。つまり、時刻も地域も心理的に揺らぐ対象になっていて、これが「抒情的」の正体なのかも知れない。

 長く生きた老人には、「月に吠える」と聞けば、青春の淡く、脆く、やくざな追憶。吠える若者など過ぎ去った遺物と片付けてしまうのが老人の常。若い頃口遊んだ詩を懐かしく思い起こし、「青春している」老人は嘘っぽく、老人自身はもっと屈折していて、それが長く生き延びた老人の錆や滓なのかも知れない。月に吠えるもよし、吠えなくてもよし、そう呟くのが普通の老人の並の反応。

 一方、「海ゆかば」の後半の文句は戦後生まれの老人には何ら賛同できない、未経験の心情である。だが、その表現は意志、欲求の客観的、叙事的な直接的表現になっている。

 

大君の 辺にこそ死なめ

顧みへりみはせじ

天皇の 足元で死のう 決して後ろを振り返ることはしない)

 

 老人は「ありあけ」と「海ゆかば」とを重ね合わせ、東雲の隣が有明だと空間化し、そこに散歩と称して運河の周りをうろつく犬たちの群れを併せるのである。