プラタナスの花(2)

 ヒポクラテス(B.C.460年頃~375年頃)は「医学の父」と呼ばれ、医学を科学的に研究し、医の倫理を強調した古代の医学者です。ヒポクラテスギリシャのコス島のプラタナスの大樹の木陰で弟子たちに医学を教え、この木に由来する木が「ヒポクラテスの木」と呼ばれ、コス島原木から採取された苗や実は、医学と医療倫理の象徴として世界各地に植樹されてきました。

 日本に最初に渡来したヒポクラテスの木は、1955年(1956年という記述もある)に山形県の篠田秀男がギリシャを旅行した際、その種を持ち帰り、篠田総合病院内に植樹したのが山形県内に持ち込まれた始まりとされています。さらに、母校の慶應義塾大学にも植えられ、現在は信濃町の医学部キャンパスの北里記念図書館前にヒポクラテスの木があります(横の碑文によれば1958年)。

 さらに、1969年(1967年という記述もある)蒲原宏がコス島の種を持ち帰り、1970年新潟大学医学部構内に植えます。ところが、植えられた翌日の朝に何者かによって持ち去られてしまい、自宅に植えられた苗木を再度新潟大学に移植したとのことです。新潟大学脳研究所の赤門を入ると、ヒポクラテスの木が植えられています。

 慶應義塾の篠田株、九州大学の蒲原株は初代が枯死するのですが、その前に挿し木に成功し、現在は子供の株が育っています。この他に、1972年緒方富雄にギリシャから挿し木が贈られ、本郷の東京大学医学部図書館前に植えられています。

 さて、私が住むすぐ近くに東京有明医療大学があり、そのキャンパスにもヒポクラテスの木が植えられています(まだ若い木です)。傍の碑文を読むと、新潟大学脳研究所の名前がありますから、蒲原株の子孫の一つのようです。碑文には昭和30年代とあり、私がまだ知らない経緯があるようです。

 使った資料や解説でも正確な年は意外と曖昧で、日本のヒポクラテスの木の経緯は謎を含んでいるようです。私が主に頼ったのは次の二つの文献です。

(1)稲松孝思「ヒポクラテスの木:二〇〇五-文献、インターネットによる情報収集」『日本医史学雑誌』第51巻第2号、2005、310-311

(2)稲松孝思「ヒポクラテスの木・二〇〇六-アンケート・現地踏査による現状の調査―」『日本医史雑誌』第52巻第1号、2006、124-125