ツバキについてのえちご中心的な要約

 12月に入り、街中のサザンカが赤い花をつけ始めた。たき火など見ることができなくなったが、サザンカは相変わらずあちこちで花をつけている。ツバキの花はまだでも、カンツバキ(寒椿、ツバキとサザンカの交雑種)は花をつけ出している。

 タイワンツバキ(Gordonia axillaris)は中国南部からインドシナ半島、それに台湾に分布し、高さは15メートルくらいに葉は光沢のある濃緑色の長円形で、わずかに鋸歯があり、10月から2月頃まで、真っ白な花を咲かせる。枝先に蕾がいくつも付くのが特徴。花色はほぼ白で、平開する点はツバキというよりサザンカ山茶花)を思わせる。でも、咲き終わると花一つ丸ごとぽとりと落ち、それはツバキと同じである。稀少な冬咲きで、ツバキやサザンカが冬に咲くと花弁が傷んでしまうが、タイワンツバキの花は比較的綺麗な姿で咲いてくれる。

 ゴードニア・ラシアンサス(Gordonia lasianthus)は北アメリカ原産の常緑高木で、ツバキに似た白花を多数咲かせる。白い美しい花を次から次へと一日交替でつける。ナツツバキ(シャラの木)に似た花を咲かせるので、別名が「ジョウリョクシャラ(常緑沙羅)」。有楽町駅辺りから三菱1号館美術館までの歩道に植えられているのがこのゴードニア・ラシアンサス(画像は台場のゴードニア)。では、ゴードニアはツバキなのか、サザンカなのか。こんな問いを頭に置きながら、ツバキとサザンカの関係を考えてみよう。

*戦前までは沖縄を除く日本のツバキ属はヤブツバキサザンカだけと思われていた。新発見のユキツバキは山地型のツバキで、日本海側の雪の多い地帯に野生する種。そのためか、新潟県の県木、加茂市の市花に指定されていて、「雪椿」という名称はあちこちで使われている。

 

 ツバキ科ツバキ族を中心に色々話題にしてみよう。ツバキを知りたいなら、手始めはツバキの仕分けだろう。「ツバキ」の語源はたくさんある。『万葉集』では艶やかな葉が強調され、その光沢から「艶葉木」と呼ばれ、転じてツバキになったというのがその一つ。「ツバキ」の漢字は中国では「茶花」で、日本の「椿」は当て字である。

 普通に使われるツバキは分類学的にはツバキ科ツバキ属のヤブツバキ。このツバキ科の仲間はツバキ属の他にヒサカキサザンカ、ナツツバキ、ヒメツバキ、モッコク、ナガエサカキ、サカキ、ヒサカキの7属。ツバキ属にはヤブツバキ、ユキツバキが入る。

 ヤブツバキは本州の青森から太平洋側の海岸に近い地域の山地と、四国、九州の山地、日本海秋田県男鹿半島以南の海岸に近い山地に分布し、朝鮮半島の南西部の一部にも分布。ユキツバキは日本海側の福井県秋田県田沢湖付近までの海抜300m~1300mの山地に自生し、ヤブツバキの変種とする学説もあるが、生態、樹形などに大きな違いがあり、種として独立させる学説が優勢(後述)。

 ユキツバキはヤブツバキより高所に生えるのに寒さに弱く、小苗の間は夏と冬の乾燥を嫌う。ヤブツバキと比べ、挿し木の発根性がよく、強い刈り込みに耐え、花付きがよいなど、ヤブツバキと大きな違いが見られる。ユキツバキとヤブツバキの自然交雑による中間型のツバキがあり、この交雑種がユキバタツバキ。花は濃紅、紅、桃、淡桃、白など変化が多く、一重咲きの中輪で、花形は変化に富んでいる。

 ここで、ユキツバキ系の「オトメツバキ(乙女椿)」について考えてみよう。オトメツバキはよく知られたユキツバキの園芸品種。ユキツバキがヤブツバキと異なることが明確にされ、ユキツバキが「発見」されたのは何と戦後の1947年と言われているが、それまで存在が知られていなかった訳ではない。それどころか、オトメツバキは江戸時代から栽培されている。丈夫で太平洋側の地域でも栽培しやすく、挿し木も容易。千重(せんえ)咲き(花弁が数多く重なり、花心部に雄蕊を欠くか、あるいは見えないもの)、中輪。花色はピンク。やや抱え咲きから満開して正型の花形となる。開花は3〜4月が多いが12月にも花をつける。北陸地方によく似た品種が多いことから、江戸時代末期に作出されたとされ、『本草図譜』(1829)に載る。1911年(明治44年)に清野主がアメリカに紹介。

 ところが、サザンカにもオトメがあり、サザンカ「オトメ」はツバキ科ツバキ属のサザンカの園芸品種。花色はピンクで、千重咲き、中輪、11月から開花する早咲き、カンツバキ群に属する品種となれば、上記のオトメツバキと瓜二つの花を咲かせる。

 さて、サザンカは日本が原産の一つのツバキ科ツバキ属の常緑樹。サザンカは園芸品種が豊富で300種類以上もあるが、それらはサザンカ群、カンツバキ群、ハルサザンカ群に分けられる。「山茶花」という表記で日本の文献に最初に現れるのは、室町時代の『尺素往来(せきそおうらい)』。それまでサザンカとツバキははっきり区別されていなかったようで、植栽の歴史もよくわかっていない。江戸中期頃になると栽培が盛んになり、伊藤三之丞著『花壇地錦抄(かだんちきんしょう)』には、36品種が解説されている。この頃から盛んに品種改良が行われ、サザンカは元禄三年に長崎に来航したドイツ人医師ケンペルによって初めて海外に紹介された。

 サザンカは日本の固有種で、四国の南西部と九州の全域、壱岐島に分布。さらに、奄美大島~沖縄~西表島までの島々に、サザンカとよく似たオキナワサザンカが分布している。サザンカの花は白色で、まれにピンクのものもある一重咲きで、平に開く小、中輪花。花期は10月下~12月の頃で、花には特有の微香がある。葉は小型で上下面の主脈、葉脈、若枝には細毛が多い。また、ヒメサザンカ沖縄県奄美大島の山地に自生する固有種。

 

 ユキツバキは新潟県の木、加茂市の花である。ユキツバキは日本海側だけに分布し、加茂山にはユキツバキのほかヤブツバキもあり、その中間型も見られる。雪に埋もれる地表面は温度が一定で、マイナスにはならず、植物の保護に役立っている。地表の寒風にさらされない特殊な環境に適応した形態を持つようになってきたものが幾つかある。ユキツバキもその一つで、ヤブツバキのように立ち上がらず、雪圧に適応し、幹を横臥させ、横への広がりを見せる特異な形態をもっている。

 新潟では雪の少ない海岸平野部にヤブツバキ、雪の多い山岳地帯にユキツバキ、この中間地域には中間形のユキバタツバキが分布し、生育環境の違いが棲み分けを生み出している。ユキツバキの花はサザンカのように平開し、雄しべは筒状にならず、基部まで分離し、花糸は黄色、葉は葉柄が短く、その両側に細かい毛が生え、葉脈も先端まではっきり見え、葉緑のきざみが鋭い。ヤブツバキの花は花ごと落下するが、ユキツバキは違う。

 加茂市では昭和42(1967)年から加茂山公園を「ユキツバキ日本一の群生地」として、雪椿祭りを開催してきた。地に伏し、雪に覆われて冬を越すことは、豪雪地域に生きるユキツバキが身につけた適応であり、『牧野植物図鑑』には「ハイツバキ」の別名が載っている。『こしじ水と緑の会』(29、2013)に荻野誠作「丸山忠次郎先生と和名ユキツバキの名称の経緯について」が掲載されている(詳しくは後述の高橋登「想いは「越後の雪椿」-「雪椿」ユキツバキの発見・命名秘話」参照)。1947年に本田正次が岩手県の猿岩で発見したサルイワツバキ(猿岩ツバキ)を新種のツバキとして論文を発表するが、その時には、既に40年前に和名「ユキツバキ」は丸山忠次郎によって牧野富太郎から命名してもらっていたというのがユキツバキの名称の経緯らしい。この辺の経緯については、次の文献に父から語り継がれた「雪椿」発見にまつわる話として、まとめられている。

 

高橋登「想いは「越後の雪椿」-「雪椿」ユキツバキの発見・命名秘話」、『新潟縣人』、2021、9月号、No.805、6-7。

高橋登「想いは「越後の雪椿」-「雪椿」ユキツバキの発見・命名秘話」II、『新潟縣人』、2021、10月号、No.806、6。

 

 さて、「ユキツバキ」発見にまつわる史的エピソードはこのくらいにして、ユキツバキが本当にヤブツバキと異なる新種か否かについての研究経緯を見てみよう。

 『研究報告第21号要約集』(富山市科学文化センター、1998)に「2倍体ユキバタツバキの形態変異(Morphological Variation of Diploid Camellia japonica L. var. intermedia Tuyama)」(折川武司、岩坪美兼、太田道人)がある。富山県内と新潟県西部に生育するツバキ属植物(ヤブツバキ,ユキツバキ,ユキバタツバキ)の花と葉の観察を通じて3分類群間での比較と、3分類群の減数分裂と花粉の観察を通じて、ユキバタツバキにはヤブツバキに近いものからユキツバキに近いものまでがあること、正常な減数分裂や花粉が観察されたことから、ユキバタツバキはヤブツバキとユキツバキの間での浸透性交雑(*)によって生じたものと推測された。

*浸透性交雑とは戻し交雑が自然に行われて、種としての特徴は失わず、ある部分の遺伝子が入れ替わっている場合のこと。最近では浸透遺伝子(遺伝子浸透)という言葉も使われている。種を越えて遺伝子が伝播する水平伝播(遺伝子浸透)は生物に広く知られた現象。浸透性交雑は大規模に起こっていることが分かってきた。特に、細胞質遺伝が起きる葉緑体では、地方ごとに、種を越えて同じ葉緑体のグループができるという。

 次は平成26年度(2014)「自然首都・只見」学術調査研究助成事業成果発表会における「ヤブツバキとユキツバキの種分化の程度について」(三浦弘毅、新潟大学大学院)で、形態(表現型)と遺伝(遺伝的違いは葉緑体DNA)に関して、二つの間の一致はどの程度かを調べたものである。形態はヤブツバキとユキツバキ二つのグループに分かれる。只見町はすべての項目で、遺伝的解析でも分かれる。だが、一致しない地域もあり、ヤブツバキとユキツバキの二つは種分化の途中にあることがわかるという結論。

 さらに、最近のものでは「ツバキ2種(ユキツバキとヤブツバキ)のクローン構造と遺伝的多様性の比較」(小濱 宏基、新潟大学大学院自然科学研究科、阿部 晴恵、新潟大学農学部附属フィールド科学教育研究センター佐渡ステーション、森口 喜成、新潟大学大学院自然科学研究科、日本森林学会大会発表データベース 130 (0), 281-, 2019-05-27)がある。ユキツバキの方がヤブツバキよりも遺伝的多様性が低いことが報告されている。

 私たちはこれまで様々なレベルのユキツバキについて瞥見した。ユキツバキやヤブツバキの集団の各部分レベルでの遺伝子型、表現型が近年の研究対象であることを最後に見たが、個体の各部分レベル、個体全体のレベル、集団レベルでの生物学的な研究、そして、園芸的、社会的、文化的なレベルでのユキツバキについても垣間見た。

 小林幸子の「雪椿」が象徴する文化レベルでの「ユキツバキ」は商品名、会報誌名など、様々な分野で大活躍している。「どれもが同じ水素原子とどれもが違うユキツバキ」と言う命題がなぜ正しいかを示す証拠と、私たちが花の判別に迷う理由を共に説明してくれることがこれまでのことからわかるのではないか。そして、それは私たちが個々のツバキ個体の間で識別できないことだけでなく、ツバキとサザンカの間でも識別ができないことの理由ともなっている。