象徴天皇

 「日本の象徴」とはこの上なく曖昧な謂い回しである。「桜や富士山は日本の象徴だが、それと同じように天皇も日本の象徴である」と言われると、首を傾げる人がいる筈である。だが、「天皇は日本の象徴」、「天皇は日本国の象徴」、「天皇は日本人の象徴」、これらのいずれにも反対する人はまずいないだろう。
 天皇は旧憲法では統治権の総攬者で、天照大神につながる万世一系の神話によってその地位が支えられていたのに対して,人間宣言以後の天皇は、憲法で「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されている。だが、この「象徴」はどのように解釈するべきか、多分に恣意的な要素を含んでいて、天皇とその家族の動静が報道され、有名人として取り上げられるのも象徴天皇のもつ一面となっている。この象徴という言葉は、天皇の存在をどう位置づけするかに知恵を絞ったGHQ日本国憲法を作るときに使った「シンボル(symbol)」に由来すると言われている。GHQは、戦後の日本をうまく統治するために天皇の地位を政治的な権力を一切持たないシンボルとして利用しようとしたのである。
 伊藤博文の「私は日本の君主は国家を代表すると言はずして、日本国を表彰する、表はすと云ふ字を使ひたいと思う。決して代表ではない」という主張もシンボルとしての天皇観が漂う。明治憲法起草に当たって、伊藤は立憲主義君主制とをどう両立させるかに腐心した。西欧列強に伍して国際社会を生き抜いていくために、彼は君主制立憲主義の両立を憲法で実現しようとしたのだ。代表、表彰、表象、象徴、シンボル、サインと言葉が変わるにつれて、その意味も微妙に変化していくが、実質的に国の代表者だった天皇から、表彰や表象に変わり、戦後は象徴、シンボルへと天皇の地位は変化してきた。
 象徴は、抽象概念をより具体的な物事や形によって表現すること。象徴となれば、カッシーラーの『象徴形式の哲学』やランガーの『シンボルの哲学』などが思い浮かぶ。象徴の定義も異なるが、「表示される対象と直接的な対応関係や類似性をもたないもの」というのが象徴の一般的意味と考えられている。このような定義めいたものを使うなら、すぐに疑問が噴き出す。「天皇は何を象徴しているのか」という素朴な疑問である。天皇は日本の何の象徴なのか、この疑問に答えるのは意外に厄介である。抽象的な内容をシンボルによって表現するのであるから、そのシンボルが暗示する抽象的な内容を表現するのが簡単でないことは直ぐにわかるだろう。
 子供だった私が昭和天皇に感じた謹厳実直さと漂う孤独感は明仁天皇にはない。ずっと普通の日本人に近く、天皇が何を象徴しているかではなく、より具体的に自らの「公的行為」を通じて象徴天皇のあり方を表現することは教育掛だった小泉信三の影響をみる気がする。「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」と述べ、「象徴」として行われる「公的行為」(特に、被災地や戦災地への慰問)を通じて、天皇は人々と触れ合うことを重要視されてきた。そうした公的行為を含めた「公務」すべてが「象徴」としてのあり方だという主張である。天皇家には長い歴史があり、確実に日本で一番長い家系をもつということに異論はないだろう。その意味では日本人のルーツを表象させる家系という役割を歴史的に担ってきたのである。昭和の時代の美空ひばり長嶋茂雄は日本人のシンボルだった。有名人が日本のシンボルに数えられるとすれば、明仁天皇やその家族も確実にシンボルとなってきた。そして、それは歌や野球によってではなく、公的行為としての国民との触れ合いによってだった。
 象徴の具体的な表現が様々あるように、象徴天皇の表現も一つではない。次の天皇が何の象徴として自らをどのように表現されるか、日本人なら誰もが注目している筈である。