(「マドンナリリーを巡って(1)、(2)、(3)」をまとめたもの)
白いユリの花とそれが象徴するものとはいずれが重要かと問われれば、美人と美人が象徴するもののいずれが重要かという問いに似て、時と場合に応じてそれは変わります。そして、白いユリが何を象徴するかを通じて、白いユリとそれが象徴するものは人間社会の文化の中に様々に取り込まれてきました。
神は聖母マリアを「最も純潔な花」と呼びました。マリアは無垢で、汚れのない若い女性。私たちがマリアを知るのは、神の使いである天使ガブリエルがナザレの彼女の家に行き、彼女に「喜びなさい。あなたは神に選ばれた」と受胎を告げる時です。マリアはこの予期せぬ訪問に驚き、畏れます。でも、天使は「神の恵みを受け、あなたは身ごもり、男の子を生むでしょう。その子の名はイエスと呼ばれるがよい」と語りかけます。受胎告知は何度も絵画に描かれ、マリアは美しく謙虚で、手元の時祷書から顔を上げ、驚いている姿で描かれてきました。天使ガブリエルが手に持つのは白いユリ。マリアは未婚で、まだ男性を知りません。
ヨーロッパの歴史を通して、ユリは特別なシンボル、象徴でした。キリスト以前のギリシャ人やローマ人は、ユリに特別な意味を持たせました。結婚式にユリの花冠を花嫁の頭に飾ることによって、花嫁はユリのように美しく、優しく、繊細で、彼女が他の男性に関心を持つことがないことを表わしていました。ユリは単に純粋さと豊穣の象徴というだけでなく、「聖母マリア」と「死」の象徴になっていきます。唯一人の彼女の子は死の運命と共にありました。神は人の姿になり、キリストとして十字架の上で死を迎えます。この物語はすべてただ一つの象徴である白ユリによって表わされてきました。キリストは人間の罪を償うため世界中の罪をすべて引き受けますが、これは神の意思でした。こうして、ユリは純粋さと死の両方を表わすことになりました。
ユリは花としては最古の栽培植物の一つ。宗教的儀式や冠婚葬祭に供され、観賞用、食用、薬、化粧品にもなってきました。ユリは英語で「lily」、ユリにはたくさんの種類があります。ユリ科には250の属があり、ユリ属には110という膨大な数の種が含まれます。ユリ属は主に北半球のユーラシア大陸、東アジア、北米などに分布していて、ユリ属110種の中の15種が日本に自生しています。ヤマユリをはじめ、ササユリ、オトメユリ、カノコユリなどが日本特産の野生種です。
西洋のユリ属のトップは「マドンナリリー(和名ニワシロユリ)」。古代ローマ人は神への供え物や観賞用だけでなく、球根を食料、薬品などにするため、白いマドンナリリーを栽培しました。ローマ帝国の軍隊と共にマドンナリリーは欧州全土に広がり、西洋ではマドンナリリーがユリの代表格になります。ところが、スウェーデンの植物探検家ツンベルクが1776年に琉球諸島でテッポウユリを発見したことを契機に主役が交代するのです。日本からテッポウユリの球根が輸出され、米国やその植民地でも栽培されました。19世紀以降、欧米市場ではこの白いトランペット形のユリが復活祭の「イースターリリー」として好評を博しました。聖母マリアの純潔のシンボルでもあったマドンナリリーは、日本のテッポウユリに取って代わられたのです。
*ニワシロユリ(Lilium candidum、庭白百合)のcandidumは、「純白」や「清い」というラテン語の意味で、「純白のユリ」という名前を表しています。ヨーロッパでは長い間マドンナリリーのことを「白いユリ」と呼んでいました。日本から「鉄砲ユリ」がヨーロッパに渡ると、白いテッポウユリが「マドンナリリー」と呼ばれるようになっていきます。日本語名は「ニワシロユリ」と名付けられていますが、大正時代頃は「フランス百合」・「ヨレハ百合」等と呼ばれていました。
ニワシロユリとテッポウユリは異なる植物種であっても、それらが象徴するものはキリスト教では同じでした。象徴するユリと象徴される純潔のマリアや死との関係はルーズで、象徴するユリの種類が変わっても象徴されるものに変化はありませんでした。物理的に象徴する媒体が変化しても、非物理的な象徴される対象は不変でした。個々の天皇が変わっても、天皇が象徴するものは不変だという理屈によく似ています。
ユリは神話や聖書に登場する女王のような花ですが、日本は野生ユリの宝庫。人が最初に栽培した花の一つがユリで、神話、宗教、芸術、文学などに登場するユリを絡めた物語は善と悪、生と死といった、まったく正反対のもので溢れています。強い香りで死の臭いを隠すためにユリは葬式に不可欠であり、花嫁は多産の印としてユリの冠をかぶりました。ユリは生と死の両面を秘めた、矛盾する役割を併せ持つ花だったのです。
ヨーロッパのユリ属のトップはニワシロユリでした。古代ローマ人は神への供え物や観賞用だけでなく、球根を食料、薬品などにするため、ユリを栽培し、ローマ軍のヨーロッパ遠征に伴い、ニワシロユリは欧州全土に広がりました。そのため、ニワシロユリはキリスト教の「聖花」になったのですが、後に日本のテッポウユリに取って代わられたことを既に述べました。ところで、聖書の「野のユリ」は何色だったのでしょうか。新約聖書の『マタイによる福音書』(6章28節)に登場する「野のユリ」は白いイースターリリーではありませんでした。植物学者たちは中東原産の白、紫、さらには赤色の、いくつもあるユリのいずれかだったのではないかと推定しています。
日本から「鉄砲ユリ」がヨーロッパに渡ると、白いテッポウユリはそれまでの「白いユリ」から区別するために「マドンナリリー」と呼ばれるようになりました。マドンナリリーは聖母マリアの象徴となり、教会花として用いられてきました。そして、バチカン市国の国花となっています。
「純潔」というユリの花言葉はギリシャ神話に由来します。ゼウスの妻で、結婚や母性、貞節を司る最高位の女神「ヘラ」のこぼれた乳が、地上でユリになったとされます。このことから、ユリはヘラの花とされ、古くから清純、純潔、母性の象徴とされてきました。さらに、ユリはキリスト教と関わりが深く、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた宗教画「受胎告知」にもユリが描かれています。
*レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」の天使ガブリエルは左手に聖母マリアの純潔の象徴である白ユリを捧げています。天使ガブリエルは白いユリの花をもち、マリアに処女懐胎を告げます。聖母マリアを象徴する白いユリの花はボッティチェッリやエル・グレコの「受胎告知」でも描かれています。実際に、ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、エル・グレコの作品を、例えば、Wikipediaで確かめてみて下さい。
*ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは19世紀のイングランドの画家・詩人。妹の詩人クリスティーナ・ロセッティと共にラファエル前派の主要メンバーとして知られています。画像の「Ecce Ancilla Domini(ラテン語で「主の侍女を見よ」)」は伝統的な約束事を守って描かれています(画像)。一方、ルネ・マグリットの「受胎告知」に約束事は一切ありません。最初に象徴するユリと象徴される純潔のマリアや死との関係はルーズだと言いましたが、象徴するもの、されるものの関係は見事に破壊されています。
6月も中旬になると、大きなユリの花をあちこちで見ることができるようになります。ユリの代表と言えばカサブランカが思い浮かびます。カサブランカは初夏に大輪の花を咲かせ、絢爛豪華な花と香りを楽しむことができます。純白のカサブランカに対し、黄色の色が入ったのがイエローカサブランカで、やはり香りが良く、とても豪華な花をつけます。イエローカサブランカはコンカドールとも呼ばれていて、近くで見ると、花の大きさに圧倒されるだけでなく、強い香りにも驚きます。これだけ視覚的、嗅覚的に強烈な花は滅多になく、呆れてしまうほどです。
新約聖書『マタイ伝』6章28節の「野のゆりがどのように育つかをよく見なさい。ほねおることも、紡ぐこともしない。あなたがたに言っておく。栄華をきわめたソロモン王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」と、イエスが「思い煩ってはならない」ことの喩えとして語ったことに由来します。このように着飾ったユリは世界に100種以上の原種があるとされ、「ヤマユリ亜属」、「テッポウユリ亜属」、「カノコユリ亜属」、「スカシユリ亜属」という4つの亜属に分類されています。
ヤマユリはヤマユリ亜属の交配親となっている原種で、本州が原産地の日本固有種。大輪の花を咲かせ、白い花の中心には黄色の筋が入り、全体に赤褐色の斑が入っています。ヤマユリ亜属は、漏斗状(ラッパ型)の花を横向きに咲かせ、花が大きく、甘い香りを発するものが多くあります。ササユリは、テッポウユリ亜属の交配親となる原種の一つで、これも日本を代表するユリです。花色は淡いピンクで、花粉が赤褐色をしています。リーガルリリーはテッポウユリ亜属に分類される原種です。花は短い筒状でラッパのように開き、花の内側は白く、基部は黄色、外側は桃紫色をしています。スカシユリは、スカシユリ亜属の原種です。数枚の花びらは重ならず、付け根の部分が少し開いていて、オレンジや黄などで鮮やかな色です。スカシユリ亜属は花を上向きに咲かせるのが特徴です。スカシユリやエゾスカシユリ、ヒメユリが代表的な原種です。オニユリは、カノコユリ亜属の原種で、食用にするため中国から日本へ伝わりました。花びらは、オレンジ色で、黒い斑点が入っています。カノコユリ亜属は、下向きに花を咲かせます。カノコユリ、イトハユリなどはこの系統に分類されます。
さて、『野のユリ』(Lilies of the Field)はウィリアム・エドマンド・バレットの1962年の同名の小説を原作とする1963年公開のアメリカ映画。主演のシドニー・ポワチエが黒人俳優として初のアカデミー主演男優賞を受賞しました。そのストーリーはアリゾナの砂漠地帯を気ままに旅する黒人青年ホーマー・スミスが、東ドイツからの亡命者であるマザー・マリアら5人の修道女と出会い、荒地に教会を建てるというもの。映画は上記の『マタイ伝』に由来します。
最近の園芸種のユリは豪華絢爛。バラもキクも園芸種は見事ですから、ユリの園芸種もそれらに劣らず派手になるのは致し方ありません。でも、野のユリだけでなく、バラもキクも素朴で慎ましいままであることを願うのは、それによって「野生」を象徴したいからなのでしょう。
ユリ、バラ、キクが何を象徴し、どんな役割を果たすかは文化的、社会的な事柄です。そして、純粋で素朴な役割と、絢爛豪華な役割という一見すると相反するものの象徴になってきました。着飾らないユリ、バラ、キクはそれぞれ「野のユリ」、「野ばら」、「野菊」として私たちの心の中に生き続けてきました。