夏のタチアオイの花たち

 夏の植物として私の記憶に強く残っているのがアオイ科の多年草タチアオイ。昭和期にはもっとあちこちで栽培されていたと思うが、最近は随分と少なくなった。それでも、その花姿は派手になっている。当初は中国原産と考えられていたが、現在はビロードアオイ属(Althaea)のトルコ原産種と東ヨーロッパ原産種との雑種とする説が有力。

 開花時期は、5月末から8月末で、 唐代以前は「蜀葵(しょくき)」の名前で名花とされた。平安時代は「唐葵」と呼ばれたが、江戸時代に「立葵」になる。人の背丈以上になり、沢山花をつける。「あおい」は、葉がどんどん太陽の方に向かうところから、「あうひ」(仰日)の意である。

 タチアオイ(立葵、ホリホック)は真っ直ぐに伸びる姿から命名された。梅雨に入る頃、花穂の下から咲き始めて順々に咲き上がり、花が終わる頃に梅雨が明けるというのがこれまでの常識。今年も猛暑の中でタチアオイの花があちこちに咲いている。

 多数の園芸品種があり、花形は一重から八重まで盛りだくさんで、ピンク、黄色、濃い紫色などの花はハイビスカスに似ているが、どことなく和の雰囲気も漂う。タチアオイは毎日、次々と新しい花を咲かせ、2ヵ月近く咲き続ける。アオイ科フヨウ属にはフヨウ、ハイビスカス、ムクゲ、ケナフ、ハマボウ、モミジアオイなどが含まれ、どの花もよく似ている。

 タチアオイの花弁の付け根の部分をはがすと、そこは粘着性があり、肌に張り付く。それが赤いタチアオイなら、張り付いた花弁はニワトリのトサカに見える。そこから、タチアオイは「コケコッコ花」とも呼ばれてきた。

 タチアオイが街中の庭や軒先に植えられていた昭和の記憶が思い出され、その花が鶏冠と重なり、鶏の記憶が浮かび上がってくる。私の故郷では昭和30年前後はまだ家畜が多く、豚、山羊、鶏などが飼われていた。我が家にも豚と鶏がいた。鶏は10羽ほどで、雄鶏が一羽いて、他は雌鶏。昼間は納屋の鳥小屋から前庭に出されていた。さすがに雄鶏は気が強く、子供の私は追いかけられ、よくつつかれた。残飯はじめ、野菜もよく食べ、卵も日に数個は産んでいた。私は当然のごとくその卵を白いご飯にかけて食べていた。

 我が家の鶏はすべて白色レグホンで、伊藤若冲が描く鶏ではなかった。鶏冠から若冲の鶏も思い出せるのだが、私が若い頃は「伊藤若冲」という名前さえ知られていなかった。私は先輩の美術史の教授から彼の絵を見せられ、ショックを受けた一人だが、浮世絵も含め、江戸時代の美術は岡倉天心らの影響でまだ十分に評価されない頃だった。そんなことで、私の記憶の中の鶏となれば、故郷の祭礼の前に絞められ、ご馳走に供される老いた雌鶏と、若冲描く見事な鶏冠と羽をもつ群鶏との二つが抜きんでている。二つは私の記憶の中で仲良く居場所を確保してきた。

*最後の画像は伊藤若冲の『動植綵絵(どうしょくさいえ)』の中の「群鶏図」