信仰と科学:異安心論争を通じて

 キリスト教の神の恩寵も浄土真宗の弥陀の本願も共に「他力」という考え方を基本にした救済です。

 「弥陀の本願」は阿弥陀如来が法蔵菩薩と名乗っていた時に立てた第十八願です。それはすべての衆生(生きとし生けるもの)を救うという阿弥陀仏の願いで、「本願力」と呼ばれ、他力の教えの根幹です。親鸞は釈迦が仏教を説いた目的がこの弥陀の本願一つであると述べています。他力は自らの修行の力(自力)によってではなく、阿弥陀如来の本願力に頼って悟りを開くことを意味しています。

 「神の恩寵」は神が人類に与える無償の愛や恵みを指し、神の人間に対する働きかけや慈愛を意味しています。それは人類に与える愛、神の恵みを指しています。神が無償で人間に与える恩寵は次の三つから成り立っています。それらは、無償の恵み(人間の善行によるものではなく、神が一方的に与えるもの)、慈愛(神の人間に対する深い慈しみや愛を意味する)、救済(罪人である人間が神との交わりに戻れるのは、神の恩寵によるもの)の三つです。

 異安心が『歎異抄』の主題で、浄土真宗の他力本願の本質を述べていますが、その具体例である小児往生と三業惑乱を取り上げ、新井(現妙高市)の願正寺と正念寺に既に言及しました。阿弥陀仏が往生を約束している中で、往生には一定の年齢が必要である、三業を働かす必要がある、といった付加条件が付くかつかないかが論争になっていました。いずれも付加条件は必要なく、無条件で往生可能という完全他力が認められました。

 神の救いや弥陀の本願を信じることと、科学的な仮説を信じることはまるで別のことだと思われています。私たちの経験する世界では観察や実験を行うことによって仮説の真偽を確かめています。では、神や仏への信仰を確かめるために私たちはどのような経験をすればよいのでしょうか。信じるために何をするかは科学の場合は明解で、自らの感覚経験を通じて信念を確かめることですが、宗教の場合はどうでしょうか。心の中で信じるだけでは不十分で、この世界で信じるには身体を動かし、口を使って話し、心を用いて考える必要があるというのが三業ですし、一定の年齢に達しないと信じることができないというのが小児往生の条件になっています。いずれも経験的な世界で信じるための当たり前の条件になっているように見えます。

 親鸞や蓮如の文言が断片的で、それを独断的に解釈することがこれまで行われてきて、プラグマティックな主張として解釈されないままになってきました。親鸞や蓮如の主張を経験的な仮説として読み直さなければ、他力本願の真の本性がわからないのではないでしょうか。しかし、それを行おうとした小児往生も三業帰命も仮説の前で門前払いとなってしまいました。弥陀の本願を仮説とみることは真宗ではありえないことですが、論争を真に解決しようとすれば、それを経験的に捉え直す工夫が不可欠ではないでしょうか。これは真宗だけではなく、キリスト教の神学も同じです(ダーウィンの進化論の受け入れに関する議論がその例となっています)。

 これら異安心事件で敗れた側の主張をより鮮明に、際立たせるなら、経験世界で信じるためには一定の条件を満たさなければならない、となります。その信じるための諸条件を通じて、万人に信用され、生き残ってきたのが科学的な理論、特に物理学でした。そこで、その幾つかの例を簡単に振り返ってみましょう。

 哲学や宗教によって自然現象を説明することから科学は始まりました。紀元前7世紀頃からギリシャで自然現象を考えていたのは哲学者で、タレスは「万物は水からつくられている」と、ヘラクレイトスは「万物は流転する」と、デモクリトスは「空間は空虚な空間と、分割不能な原子からなる」と主張しました。その後、プラトンが『ティマイオス』を書き、アリストテレスは『自然学』で、火、水、空気、火の混合によって全てのものが作られているという四元素説を展開し、自然現象を考察し、仮説を出して、説明しました。そこでは実験や観察よりも「自然現象が起きる理由や目的は何か」という思弁的な論証が重視されました。この特徴は宗教教義に似ています。

 学問の中心がアレクサンドリアに移ると、エラトステネスは地球の円周の長さを正確に測定し、アルキメデスはアルキメデスの原理を発見します。紀元後150年頃、プトレマイオスは地球が宇宙の中心という天動説を唱えました。キリスト教の価値観を説明するのに都合がよかったのは天動説で、科学と宗教が結びつき、それがヨーロッパ社会を約1000年支配することになります。11世紀にはスコラ学が誕生し、アリストテレスの哲学がキリスト教の神学に取り入れられます。思弁的な哲学と神学が共通の構造を持っていたのがわかります。12世紀にはイスラム圏で発展した科学がヨーロッパへ伝わり、知的革新の運動が起きると、アラビアで栄えた科学とギリシャで栄えた科学が融合します。そして、コペルニクスが地動説を唱え、科学革命の基礎となります。16世紀に入ると、スコラ学やアリストテレスの哲学からの脱却が始まり、「なぜ自然現象が起き、その現象の目的は何か」という問いの解決に力を入れてきた自然哲学が、「数学に基づいた論証をしつつ、実験や観察事実に基づいた追求」に変わり、ガリレオやケプラー、ニュートンらの研究が始まりました。また、実験が重視され始め、アリストテレス的自然観から古典力学的自然観へと変わっていきます。実験による探求はガリレオの様々な実験から始まります。ティコ・プラーエの観察とケプラーの法則等を使って、ニュートンは1687年に『自然哲学の数学的諸原理(Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica)』を著し、自然界の法則をまとめました。その中で注目すべきものが運動方程式と万有引力の法則で、古典力学の基礎になりました。その後、解析力学が生まれ、20世紀の量子論につながっていきます。

 信じることが中核にある信仰と知ることから成り立つ探求は宗教と科学と二分されています。信じて知ること、知って信じることのいずれが優先するかで異安心の裁判結果は異なってきます。知って、その結果を使って信じようとすれば、異安心として非難され、罰せられるというのが歴史的な結果でした。でも、科学の歴史は正しく知ることを信じることに優先させ、正しく知るために観察や実験を用いてきました。

 ボイルやトリチェリが熱分野で研究を始め、19世紀前半にはボイル・シャルルの法則が見つかり、熱の正体は熱素か微粒子の運動かという議論が多くの研究者の関心を呼び、19世紀中頃にマイヤーやヘルムホルツがエネルギー保存則を独自に見つけると、次第に粒子の運動説が有利になり、熱素説は否定されていきます。1850年にクラウジウスはエネルギー保存則(熱力学第一法則)と熱力学第二法則を独自に見つけ、同時にエントロピーという概念を提唱します。19世紀後半には、マクスウェルやボルツマンによる統計力学が生まれます。

 19世紀半ばを過ぎると、職業的な科学者が登場し、大学に理学部が誕生し、学会が誕生します。1820年には、エールステッドは電流が磁気を発生させることを発見し、電気と磁気の関連性を指摘しました。そして、アンペールは二つの電流が互いに力を及ぼしあうことを発見し、同時に磁気による力は分子内の電流によって生じるというアンペールの法則を見つけました。その後の電気と磁気に関する研究をまとめたのがマクスウェルで、1864年にマクスウェル方程式として電気と磁気を統一的に説明しました。こうして、1871年に光は電磁波であると予言され、1888年にヘルツによって電磁波の存在が確認されました。でも、マクスウェルの理論では説明できない現象がありました。例えば、光の反射と屈折を説明できませんでした。そこで、ローレンツは物質中には荷電粒子があり、光を受けると荷電粒子が振動して電磁波が発生するということを提唱しました。

 1905年、アインシュタインは光量子仮説、ブラウン運動の理論、特殊相対性理論についての論文を同時期に発表し、その後の物理学に影響を与えました。光量子仮説は「光はプランク定数hと振動数νをかけたエネルギーを持つ粒子である」という理論であり、その光の粒が「光量子(こうりょうし)」です。この理論により、光電効果を説明することができました。19世紀後半以降、光の媒質であるエーテルが注目されていましたが、マイケルソン・モーリーの実験ではエーテルの存在を確認できませんでした。そこで、アインシュタインは「光の速さはどの観測者から見ても変わらない」という光速度不変の原理を考えました。そして、特殊相対性理論が生まれ、加速度系を含めた相対性理論として一般相対性理論が生まれました。

 1900年に入り、プランクの量子仮説、それを改良したアインシュタインの光量子仮説によって、光電効果を説明でき、また光の粒子性と波動性の二重性も説明でき、量子論の基礎が作られました。1913年、ボーアは「量子条件」と「振動数条件」という仮説を立て、独自の原子モデルを発表します。それがボーアの「原子模型」です。1924年、その欠点を直すためにド・ブロイは光だけでなく電子や他の物質も波動性を持つということを唱えました。こうして、ボーアの仮説を証明すると同時に、水素原子のスペクトルに関しても説明することができました。この理論に触発されて、シュレディンガーは物質波にも波動方程式があると考え、試行錯誤の末、以下のシュレディンガー方程式を導きました。一方、ハイゼンベルグも独自の視点で量子論にアプローチし、行列力学を構築しました。その後、シュレディンガーは行列力学も波動力学も数学的には同値であることを示しました。こうして量子力学が生まれました。

 科学の仮説は自然に関する「知識に基づいた推測」です。科学的仮説は次の二条件を満たさなければならないと言われています。

(1)科学的仮説はテスト可能(testable)でなければならない。

(2)科学的仮説は反証可能(falsifiable)でなければならない。

 まず、(1)。科学活動は自然について実験や観察をすることです。仮説が観察できるテストを生み出さないなら、その仮説を使って科学者が実証的に研究できることは何もないことになります。そこで、次の仮説を考えてみましょう。

仮説A:どんな物質も現在の私たちには経験的に確かめることができない要素を含んでいる。

 この言明は正しいかもしれませんが、テストできないことから、科学的な仮説ではありません。仮説Aが心を惹きつけるとしても、思弁的(speculative)なものに過ぎません。

 科学的仮説がテスト可能という要請はしばしば「科学的仮説は予測可能」と表現されます。科学的予測は未来に起こることだけでなく、正に今何が起こるか述べています。予測は仮説のテスト(観察や実験)になっています。仮説が「予測を生む」ことと仮説が「テスト可能である」こととは同じ意味なのです。

次に(2)。科学的仮説はテスト可能でなければなりませんが、その仮説が科学的と考えられるにはさらに条件があります。それがポパー(Karl Popper, 1902-1994)の主張した反証可能性(falsifiability)です。次の仮説を考えてみましょう。

仮説B:地球にはまだ発見されていない生物が存在する。

 この仮説はテスト可能ですが、科学的な仮説ではありません。その理由は以下の通りです。仮説Bが正しいなら、それを証明する方法が幾つかあります。例えば、生態学者が熱帯雨林で新しい生物種を見つけ出すかもしれません。既に現地の人がそれを見つけているかもしれません。ですから、仮説Bが正しければ、それを証明するような観察があります。でも、仮説Bが誤りなら、それを証明するテストはありません。生態学者が新しい生物種を発見できなくとも、未発見の生物種が存在しないと結論することはできないのです。つまり、仮説Bの反証はできません。

 では、次の仮説はどうでしょうか。

仮説C:空気抵抗を無視すれば、同じ高さから地上に落下する二つの物体は同時に地上に達する。

 この仮説は科学的仮説で、自由落下の法則と呼ばれています。さらに、この仮説はテスト可能です。そして、反証可能でもあります。同時に地面に落下しない二つの対象が見出されるなら、そして、そこに空気抵抗が関与していないこともわかれば、仮説が誤りであることが証明されます。理論上も、実験上も、仮説Cが誤りであれば、それを示すのは簡単です。

 仮説Cが誤りであることを証明するのは簡単なのですが、それが正しいことを証明するのは不可能です。仮説Cが正しいことを証明するには対象のすべての組み合わせがテストされなければなりません。仮説Cを何度もテストすれば、それだけ信頼度は増すでしょうが、絶対に確実だという点にまでは到達できません。

 テスト可能性と反証可能性の二つの条件は科学的仮説の特徴だけでなく、宿命も表しています。科学的仮説は正しいことが証明できず、それゆえ、仮説でしかなく、反証によって新しい仮説が採用されるまでの暫定的なものです。ですから、仮説の書き換えの繰り返しが科学の歴史なのです。

 

 こうして、科学は仮説、宗教は神や仏の真理を主張し、私たちはそれら真理を心理的に取り扱うしかなく、知識を使いながらの真理への対応はどこかでつながるようで、つながらないのが今の姿です。神や阿弥陀仏が恩寵や往生を与えるのがこの世界であれば、そこには科学が働く余地が生まれますが、どこで与えるか特定できないなら、それは奇跡でしかなくなります。神の恩寵や弥陀の本願が実現する際の「実現」はどのような意味なのか、それが謎のままでは異安心か否かの判定もままならないという煮え切らない結論になってしまいました。