ふるさとを穿る(3)

 死後に極楽往生するには、一心に仏を想い、念仏する以外に方法はないと説き、浄土教の基礎をつくったのが源信の『往生要集』。源信が考える念仏には観想するための仏と、救済するための仏が併存したままでした。それが止揚され、総合された結果として、浄土宗、浄土真宗が生まれることになります。

 浄土真宗の小児往生の議論は近世の教団確立期に大きく揺れ動き、まだ信心を得ていない小児に往生が可能なのか、不可能なら弥陀の本願に背くのではないかという疑問は、「異安心(いあんじん)」問題として何度も議論されてきました(異安心=異端)。

 この問題が大論争となった舞台が越後。越後と北信濃触頭寺院(ふれがしらじいん)として絶大な力を誇っていた新井(現妙高市)の願生寺と親鸞聖人の居多ケ浜上陸以来のゆかりの有力寺院だった高田(現上越市)の浄興寺との間に教義論争が起こります。多くの末寺門徒と本山東本願寺を巻き込んだ大論争の裁定には寺社奉行までが乗り出す始末となりました。論争となった問題は「小児(15 歳以下の者)は往生して仏になれるか」でした。「小児は往生できる」という浄興寺方と、「小児は往生できない」という願生寺方との主張が真っ向から対立し、論争は願生寺方が敗れて終わります。その結果、願生寺は取り潰され、新井別院へと姿を変え、浄興寺は自らの地位を守りました。

 阿弥陀仏の「本願」は阿弥陀仏の本当の願いのことであり、私たち一人一人を間違いなく救おうという願いです。そのような願いが、私がこの世間に生まれてくる以前から、既に私に差し向けられ、私のために用意されています(そこには大人も子供も違いはない筈ですが…)。釈迦がたまたまこの世間に生まれ、たまたま仏になり、人びとに教えを説いた、ということではありません。この世間に現れたのは、ただこの私を救ってやりたいという阿弥陀仏の本願が、私に差し向けられている、その事実を私に教えようとしているためである、と考えられています。小児は弥陀の本願を知る由もないのですが、それでも阿弥陀仏はその小児を救うために存在するという状況をどれだけ重視するかで意見が分かれることになったのです。小児の信仰を小児の意思に基づいて考える願生寺側と、小児の信仰を阿弥陀仏の本願をもとに考える浄興寺側とで、小児往生が可能か否かの答えが異なるのです。

 では、キリスト教での小児往生はどうなのか。子供は「無邪気」で、何ら罪はないというのは間違いで、大人だけでなく新生児や子供も神の前に等しく有罪です。アダムとイヴから受け継がれた原罪を子供はその両親から受け継いでいます。例えば、詩篇51篇でダビデは「ああ、私は咎あるものとして生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました」と述べています。新生児はアダムの原罪の結果です。

 子供も大人も神の前に有罪で、神の聖さを侵害したのですから、その人がキリストへの信仰によって赦しを受けること以外に道はありません。では、赦しを受けるという個人的な選択をする能力のない子供たちはどうなるのか。責任をとれる年齢に至らなかった子供たちは神の恵みと憐みによって自動的に救われるというのが、その答え。こうして、キリストに従うか反するかを決めることができる前に死んだすべての人が救われます(では、私のようにキリストを知らないまま大人になった者も救われるのでしょうか)。

 結果だけ見るなら、カトリックと浄興寺は似た立場で、小児は往生できます。でも、宗教改革後のプロテスタントの一般的な立場は小児洗礼を認めないものであり、信仰が自覚的な判断を求めることを強調しています。それゆえ、信仰と往生の関係は一筋縄ではいかないことがよくわかります。

 このように仏教とキリスト教を比較するなら、過去の正統と異端、他力と自力、自由意思の有無、安心と異安心などが浮かび上がり、歴史そのものが迫ってきます。ここで私が確認しておきたいのは宗教論議の根底にある土台の危うさです。上の例が示す共通点はいずれも「解釈」だということです。それも事実や出来事、現象の解釈ではなく、何かの主張、意見についての解釈なのです。ですから、小児往生の是非について、それは多数派、少数派の違いに過ぎないという解釈も可能で、注釈によく似た行為なのです。「信じる」という行為の中に咲いたあだ花のようなものがこの種の論議で、そのためかとても人間的です。

 科学では理論の解釈より理論の真偽が重要で、理論が何を主張しているかの確認のためだけに解釈が求められます。それが、(真だと決められた)憲法では真偽より解釈が圧倒的に重要になります(科学と法律での大きな違いが使われている言語)。宗教でも真偽の問題は(信仰によって、真に決まっているので)最初からなく、解釈だけが問題になるのです。ところが、解釈は(歴史の中で)状況次第で変わりますから、憲法や信仰は変わらなくても、それらの解釈とその真偽はローカルな真偽として変わり続けるのです。