童謡「春よ来い」の「みいちゃん」

 相馬御風と妻テルの結婚は1907(明治40)年12月22日、御風24歳、テル18歳でした。この時、御風は母校早稲田大学の創立25周年記念の校歌「都の西北」を作詞し、テルは日本女子大学英文科の学生でした。テルの父は藤田茂吉で、慶應義塾を出て、新聞記者となり、日本最初の衆議院選挙に当選、院内総務も務めました。テルと見合いをした御風は彼女の美しさに一目惚れ。結婚式は質素でしたが、後に早稲田大学総長、文部大臣となった高田早苗が保証人となりました。テルは東京生まれの東京育ちでしたから、『還元録』以降の糸魚川に戻ってからの生活は色々大変だったと想像できます。

 1923年に雑誌『金の鳥』に発表されたのが童謡の「春よ来い」。1番の歌詞に登場する「みいちゃん」のモデルは御風の長女。彼は6男1女に恵まれますが、その長女が相馬文子(あやこ)。相馬文子1921年-2009年)は日本近代文学研究者。彼女は糸魚川で生まれます。1941年に母と同じ日本女子大学の英文科ではなく、国文科を卒業し、東京帝大史料編纂所に勤め、戦後は日本女子大学付属図書館司書として長く勤めます。著書に『相馬御風とその妻』(青蛙房、1986)、『司書半生』(三月書房、1988)、『若き日の相馬御風 文学への萌芽』(三月書房、1995)、編纂に『相馬御風著作集』(紅野敏郎共編、名著刊行会、1981)、『相馬御風初期評論集』(紅野敏郎共編集、名著刊行会、1982)、『相馬御風の人と文学』(紅野敏郎共編、名著刊行会、1982)、『定本相馬御風歌集』(編集、千人社,1983)があります。

 彼女が勤務した図書館について述べた文を以下に挙げておきます。

追想相馬文子

 太平洋戦争終結の昭和二十年(1945年)l1月が私の図書館初就任であった。以来、定年を数年前にして、昭和五十七年(1982)春、退職した。女子大の図書館の歩みについては、自著「司書半生」にかなり詳細に述べたつもりであるが、私の在任は、図書室と言った前近代的な箇所から、創立以来初めて独立した建物の全開架式図書館と極端な移り変りを過して来た三十七年間であった。そして、退職後の才月が、も早十五年余になる。新築時に発刊した「図書館だより」が百号になると言う。改めて思い出せば、無論、思い出は限りなくあって筆舌につくし難い。良き思い出、なつかしい思い出と共に、思い出したくない思い出もあるのは当然だが、不思議なもので、月日と共になつかしい事のみ鮮明に心に残って来ている。星移り、人変り、しかもその後の世の激変も甚しく、それにつれて図書館の機能自体も、私の在任中とは大きく変化している。しかし、明け暮れ、書物に接し得ていた幸せを現在のエネルギーの賜ものにさせていただいている事に感謝している。

(元図書館事務主任)

*「追想」には図書室で閉架式だったものが開架式の図書館に変わることが述べられていますが、私も大学で経験した今でも懐かしい想い出です(利用する学生が読みたい本を図書館員に頼むのが閉架式、学生が自分で書架から自由に本を取り出すことができるのが開架式。今では貴重書を除き、開架式が普通になっている)。