ふるさとを穿る(2)

 異端審問(Inquisitio)は中世以降のカトリック教会で正統な信仰に反するという疑いを受けた者を裁判するために設けられました。異端審問を行うのが「異端審問所」。中世初期の異端審問、スペイン異端審問、ローマの異端審問の三つに大別でき、それぞれが異なった時代背景と性格を持っています。異端審問は15世紀以降のスペインにおいて特に苛烈でした。その理由はレコンキスタが完遂された後、キリスト教純化政策をとったフェルナンド5世が、「表面上はキリスト教に帰依するも、実際には自分たちの信仰を守り続ける国民」を排斥しようとしたことにあります。

 私たちの多くが知っているのはガリレオ・ガリレイで、彼は当時のキリスト教的世界観とは大きく異なるコペルニクスの地動説を支持したために、二度も宗教裁判にかけられました。1633年に『天文対話』が地動説を弁護し、聖書の教えに背くとして告訴され、異端審問所で裁判が行われました。同じく地動説を支持したブルーノが火刑にあったこともあり、ガリレイは、自説を撤回しましたが、終身禁固の判決を受け、『天文対話』は禁書になります。もう一つ私たちに馴染みのあるのが幼児洗礼です。キリスト教には宗教についてまだ自覚できない幼児に洗礼を行う教派と行わない教派があります。東方の正教会カトリック教会、聖公会ルーテル教会などはいずれも幼児洗礼を認めていますが、バプテスト教会アーミッシュなどはこれを認めず、立場が分かれています。

 さて、これとよく似ているのが仏教の小児往生です。小児が極楽往生できるというのが小児往生で、意見が分かれます。越後では、子供に御文を抱かせ、大人が代わりに「この子の後生助けたまえ」と頼めば、生後間もない小児でも極楽浄土に往生できるという「御名(おな)がけ」の儀式がありました。(革新的な)新井の願生寺はこれを自覚的帰依がないと批判し、15歳以下の小児往生を否定しました。上記のバプテスト教会アーミッシュの考えに似ています。一方、(保守的な)高田の浄興寺は小児往生を(全ての人を仏にするという)弥陀の本願に合わせて認めたのです。その結果、二つの有力寺院はいずれが異安心(異端)かで激しい論争を繰り広げることになりました。

 これが大問題なのは、信仰にとって自覚が不可欠であるというのが仏教の正論でも、小児の往生を除外すれば、十方衆生を救うと誓った阿弥陀如来の本願と矛盾するからです。結局、本山東本願寺は願生寺の主張を異安心と裁定しました。喧嘩両成敗なのか、「御名がけ」の作法も否定したのです。こうして、キリスト教でも仏教でも、信仰に自由意志や自覚が必要か否かということと神や仏が全知全能的な力をもつこととの間の矛盾を共有していることがわかります。

 マルティン・ルターは、幼児洗礼が「神の賜物」であり、完全に受動的な聖霊の働きと考え、洗礼による聖霊の働きによって、心からの信仰の告白に導かれると理解しました。自由意志を認めず、すべてを神の意志とするルターなら、幼児洗礼も成人洗礼も違いはありませんから、何ら問題は生じません。自由意志を認める人には、自由意志に従って洗礼を受けるか否かは大きな問題となります。

 現在、大谷派には帰依することを自ら表す帰敬式という儀式があり、受式年齢に制限はなく、生後間もない小児にも法名が与えられます。しかし、帰依がわからない小児や死者には帰敬式は不可能です。でも、無自覚者こそ、キリストや阿弥陀如来が救済しようとする人たちです。ここに矛盾の源があります。帰敬式の受式年齢制限を廃して、如来が与える凡夫往生を実現するにはどのような理屈が必要なのでしょうか。

 今でも問題は未解決のままです。でも、信仰をもつきっかけや発端に私たちの自由な意志が関わり、それをどのように理解するかによって様々な立場が分かれるのは確かです。ですから、小児往生や幼児洗礼は自由意志に密接にかかわっていて、そう簡単には解決できそうもないことだけはわかります。自由意志と神の全知全能性の対立関係について既に述べましたが、小児成仏や幼児洗礼の問題は実はこれと同根の問題だったのです。

 この問題がはっきり取り上げられたのが三業惑乱と呼ばれるもう一つの異安心問題です。よく見ると、小児往生と同じように、自由意志の有無が問題になっていることがわかります。