「破戒」とは「戒律を破ること」。島崎藤村の『破戒』に出てくる「蓮華寺」のモデルとなったのが飯山の浄土真宗本願寺派の真宗寺で、境内には「破戒」の第一章を刻んだ文学碑があります。そして、『破戒』の三部には正受庵を訪ねた白隠が正受老人の厳しい指導を受け、悟りを開いた話が登場します。藤村は真宗寺の「報恩講」を取り上げ、『破戒』の第15章全部を使って、「報恩講」の場面を描いています。三部の法話は、臨済宗中興の祖と言われる白隠が高田の英厳寺から飯山の正受庵を訪ね、正受老人(道鏡恵端)の厳しい指導を受けて悟りを開いた話で、これまでそれを述べてきました。なお、『破戒』の中では白隠が悟った場所を記念して「静観庵」ができたとなっていますが、長野県飯山市大字静間の静観庵(静間観音堂)のことと思われます。浄土真宗の報恩講の法話に臨済宗の二人の話がなぜ取り上げられたのか、私にはわかりません。「自力で道に入るといふことは、白隠のやうな人物ですら容易で無い。吾他力宗は単純ひとへに頼むのだ。信ずるのだ。導かれるのだ。凡夫の身をもつて達するのだ。呉々も自己おのれを捨てゝ、阿弥陀如来を頼み奉るの外は無い。」と本文にあるので、白隠でさえ自力で悟るのは容易でない、それゆえ、普通の人は唯阿弥陀如来を拝むほかない、という趣旨の法話と考えることができます。
『破戒』の主人公瀬川丑松は被差別部落出身の教師ですが、それを隠していました。そのため、彼は父の「出自を明かすな」という遺言と、自らの良心との間で葛藤します。政治家猪子蓮太郎の思想に感銘を受け、真実を語る決意が芽生えます。猪子の死やタケへの恋心が、丑松の「破戒」への道を後押しします。丑松は最終的に出自を告白し、教師を辞めて社会的地位を失います。でも、告白によって精神的には解放され、自我と誇りを取り戻すのです。タイトルの「破戒」は父の教えという「戒律」を破ることで得た自由の象徴。『破戒』には部落差別や社会の偽善に対する藤村の鋭い批判が込められています。『破戒』は社会的・倫理的メッセージを持った、日本自然主義文学の転換点となりました。