春艸と秋艸

 妙高池の平のいもり池にはヨシ原があります。ヨシ(葦)は関東では「アシ」、関西では「ヨシ」と全く対照的な名前(善し悪し?)をもつイネ科の多年草。水辺の植物ではもっとも背が高く、5メートルもの背丈に成長します。ヨシは古くから世界中の人々に親しまれてきました。日本では葦簀(よしず)の原料となったり、茅葺(かやぶき)の屋根材として葺き替えに使われたりしています。ヨシは通常の植物と同様、空気中の二酸化炭素(CO2)の吸収や光合成による酸素の生成によって、地球温暖化を防ぎます。また、ヨシは土中、水中から多くの窒素やリンなどを吸い上げて成長します。水中に窒素やリンが多くなると水面にアオコが発生し、水生生物や魚類が死滅する原因になります。つまり、ヨシの生息が水質浄化になり、生態系保全へとつながります。

 カヤ(ススキ)は屋根の葺き材や編んで炭俵、冬囲い材や畜産などにも使われ、最も用途が広く多く使われてきましたから、改めて説明する必要はありません。一方、オギは植生が比較的限られることもあってか、目立ちませんでした。刈り取りやすく、茎の部分の葉が少なくて削りやすく、草でありながらも茎が丈夫なのがオギで、串材に最適の野草とされました。

 葦に関して最も有名なフレーズはブレーズ・パスカルによる「人間は考える葦である(roseau pensant)」でしょう。ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話「オークと葦」(Le chêne et le roseau)では傲慢なオークが倒れたのに対し、倒れないように自ら折れて風雨を凌いだ葦の姿が描かれています。ヨシの原と言えば「吉原」が思い出されます。江戸幕府によって遊郭が一か所に集められた場所もヨシの茂る湿地だったため葭原(よしはら)と呼ばれ、後に「吉原」と改められました。

 私は私学で学び、私学で教えていました。私立の文学部に行きたいと担任教師に言ったら一笑に付されたのを今でもよく憶えています。妙高に私学はありませんでしたが、妙高の隣の板倉村(現上越市板倉区針)には有恒学舎(現県立有恒高等学校)がありました。現在は県立の高等学校になってしまい、私のような私学出には寂しい気持ちです。

 孔子の『論語』から校名がとられ、「有恒」とは「他にまどわされない一定不変の心を持つ」ことを意味し、そのような心をもつ人間を育成することを目指した有恒学舎は明治29年に増村朴斎が私財を投じて設立、「西の松下村塾、東の有恒学舎」とも呼ばれました。東京に福沢創立の慶應義塾、京都に新島創立の同志社が、そして板倉には増村創立の有恒学舎がありました。学校創立時には勝海舟が校名を書き送っています。昭和26年に板倉村立有恒高等学校(定時制)が開校、昭和39年に県立有恒高等学校となりました。

 会津八一は明治39年から4年間英語教師として有恒学舎に在職しました。八一は明治14年新潟市古町通五番町に生まれ、25歳で早稲田大学卒業直後、新進の英語教師として有恒学舎で教え、明治43年に辞任して上京、坪内逍遙に招かれ、早稲田中学校の英語教師となります。その後、早稲田大学文学部講師となり、東洋美術史を講義、さらに昭和6年早稲田大学文学部教授となりました。

 八一の住まいの号が「秋艸堂(しゅうそうどう」。20代後半からこの号を用いていて、「秋艸堂」の「艸」は、草を総称する語句で、草が並んで生え出る様子を表現していて、「艹(くさかんむり)」の原形です。八一の雅号も「秋艸道人」。八一は萩、菊などの秋の草花を好み、そこから命名されたものです。「艸」は妙高の「艸原祭」にも使われていますが、妙高の場合は春の草が、八一の場合は秋の草が意味されています。妙高の艸原はヨシやカヤの草原です。