ものとその名前(6):代名詞(=変項)

 人々は名前を重宝し、名前によって分類されたものを好みます。でも、全てのものはただ偶然に存在し、その存在に何の意味もない、と気づき、主人公は嘔吐感をもちます。彼は吐き気の意味を考え、実存するものが無ではなく、何ものかであるという性質自体が彼を狂気に追いやる正体だとわかります。もの自身から単語を切り離すことによって、彼は純粋な存在に向かい合い、存在は名前から独立していると気づくのです。それが描かれているのが『嘔吐』で、サルトルが1938年に著した小説。

 存在そのもの、あるいは実存に最も肉薄する言語表現が代名詞であり、変項や変数と呼ばれてきたものです。任意のxは解釈されることによっていわゆる名前で呼ぶことができるようになる原名辞のようなもので、個物(individual)です。例えば、変項xの領域を人間とすれば、xは任意の個人を指すことになります。

 さて、マロニエの根ではなく、雪の中のアオキの赤くなった実は子供の頃の記憶として今でも鮮明に残っています。秋につけた青い実(最後の画像)が次第に色づいていき、正月にはすっかり赤くなっています(画像)。アオキ(青木)はアオキ属の常緑低木で、和名の由来は常緑で枝も青い(緑)ことから。その赤い実が私の目に飛び込んできます。

 残念ながら、私はアオキの赤い実を見ても吐き気など持たないのですが、言葉の表現を越えるものがあるのは直感できる気がします。任意の赤い実ではなく、眼前の特定の赤い実であり、その実はいつでもどこでもその特定の赤い実のままなのです。

*画像の赤い実はどのような可能世界でも同じ赤い実であることがものとしての赤い実の特徴です。