山椒大夫を掘り起こす(3)

 「人買いによって引き離された母と姉弟の受難を通して犠牲の意味を問う山椒大夫」といった説明文がつき、読後の感想文がそれに基づいて書かれるのは、私が中学生の頃からほとんど変わっていない。文学作品には作者の動機、状況などがあり、それが読者の文脈と呼応することによって作品の意味が定まるのだが、模範解答の如くに感想文の内容が決まっているという奇妙なことになっている。鷗外の「山椒大夫」も戦前と戦後、20世紀と21世紀では異なるように理解されるべきなのだが、作品内容の普遍性や不変性が強調され、文脈に依存して変わる評価や解釈は軽視されている。

 文学作品ではない説経節は芸能、演芸であり、感覚的、感情的なカタルシスが目的となってきた。文学としての「山椒大夫」と芸能としての「さんせう太夫」の違いは、共に「長い歴史をもつ古典」としてぼかされてきた。文学と芸能の垣根を取り払い、次に「古典」の衣を脱ぐならば、安寿と厨子王の物語を直視できるようになるのではないか。

 私は子供の頃に説経節瞽女唄を聴いた経験がない。私が聴いたのは民謡や浪花節、講談、歌謡曲などだった。私にとって、小説としての「山椒大夫」と説経節瞽女唄としての「さんせう太夫」の違いは何なのか。実際、「読んで理解する」と「聴いて共感する」の違いは大きい。子供の私が浪花節を聴いたように説経節瞽女唄を聴くなら、鷗外の作品を読む場合とはまるで違う経験をしただろう。詩や小説に「言霊」を感じるなら、説経節瞽女唄に「声霊」を感じるのは自然なことで、声は霊を運び、私たちを感覚的に操る力をもっている。

 北越地方の盆踊歌の松坂節と歌祭文(うたざいもん、神祭りのときに奏上する文詞で、祝詞(のりと)や祭文と称する)が結びついて生まれたのが「祭文松坂」。祭文松坂は、目の不自由な旅芸人の瞽女が門付をして唄ってきた祝唄である。一方、説経節の実態ははっきりしないが、「説経」は仏説や仏教経典の伝承から派生した。経文を、声を出し、節をつけて広めたいという民衆の気持ちが強く、多くの説経は喜捨を乞う門付の「乞食芸」として広まっていった。

 古説経の内容は神仏が人間であったときの苦難の生を語るという本地物(本地垂迹説の影響によって成立した御伽草子系統の小説・物語類、また、古浄瑠璃説経節などで、神仏・社寺の縁起を説いたもの)の構造をもち、人間が苦しみや試練に打ち克ち、神仏に転生する過程が語られている。説経節を聴きに集まる人びとは、それが神仏への転生の物語であることを知っており、個々の場面が人間の情念に満たされ、どのように語られるかに関心を寄せ、それを味わい、共感したのである。残酷なストーリーであればあるほど、人々は転生の過程に真実味を憶え、引き込まれていく。説経節を聴くことによるカタルシスを通じて、共通体験をもつのである。

 「さんせう太夫」、「小栗判官」などの説経節瞽女唄の主要なレパートリーとなっているが、説経節で語られている内容と比べると、瞽女唄は随分と異なっている。「さんせう太夫」では、親子が人買いに騙され、二隻の舟で離されてしまう場面が女性の情愛たっぷりに唄われている。説経節のあらすじを既に熟知する聴衆は、瞽女が盲目の女性芸人であり、結婚を許されず、子を産むことのできない宿命を背負いながら、子別れの母の悲しみや、男を思う女心を唄う姿そのものに魅入られ、共感するのである。説経節の残酷物語を聞かずとも、瞽女の唄を聴き、共に泣き、カタルシスを得たのだろう。瞽女唄は、七五調のリズムの畳みかけで、聴衆の心の奥底に訴えかける。津軽三味線に引き継がれる瞽女の三味線は、叩きつけるような弾き方に特徴がある。古くは鼓を打ちながら語られ、その鼓に目が加わり、「こ、く」と読まれることになった「瞽」に「女」が加わり、「ごぜ」となり、芸能と関わることを示している。