黒姫山の伝説雑感

 かつて黒姫山という相撲取りがいました。1948年生まれで私とほぼ同年配、師匠の立浪は同じ新潟県出身の羽黒山でした。「黒姫山」という四股名妙高山の隣の黒姫山なのかと訝る程度で気にもしていなかったのですが、彼の出身が旧青海町(現糸魚川市)であることを知り、青海黒姫山(おうみくろひめやま、1221m)からその名がつけられたことがわかり、無知は恥と思い知ったのを憶えています。

 別の黒姫山柏崎市にあり、それは刈羽黒姫山(かりわくろひめさん、891m)と呼ばれています。これに北信濃黒姫山(くろひめやま、2053m)を加えると、なんと三つの黒姫山信越地方に集まっているのです。

 妙高山黒姫山戸隠山を巡る伝説として、熊坂長範、児雷也について述べてきましたが、越後の二つの黒姫山についてはどのような伝説が残っているのでしょうか。残念ながら、大泥棒、アウトロー、妖術使いなどの派手な伝説はなく、もっと古い大国主命を巡る神話が残っていて、出雲文化の影響がわかります。

 青海黒姫山は旧西頸城郡青海町の背後にそびえ立つ石灰岩の独立峰ですが、奴奈川姫(ぬなかわひめ)」伝説が残っています。彼女は『古事記こじき)』や『出雲風土記(いずもふどき)』などの古代文献に登場する高志国(現在の福井県から新潟県)の姫で、『古事記』では出雲国(今の島根県)の大国主命(おおくにぬしのみこと)が求婚に来た、とあります。これは黒姫山そのものについての伝説ではなく、青海黒姫山を含み地域の神話です。

 刈羽黒姫山の伝説もこれに似ていて、黒姫大神は女性の神様で、その名前を”罔象女命(ミズハメノミコト)”といい、越後の国を治めた大国主命オオクニヌシノミコト)のお后であると伝えられています。

*『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記します。

 ところが、信濃黒姫山となると、独特の黒姫伝説が幾つも伝わっています。いずれもよく似たシナリオを持っていて、およそ次のような筋立てです。

「高梨政盛には黒姫という娘がいて、一匹の大蛇が彼女を好きになり、求婚する。姫も心を惹かれた。政盛に自らを大沼池の主の黒龍であると話すが、人間ではないものに黒姫を嫁がせる訳にはいかないと破談にした。黒姫は政盛を責め、鏡を高く投げ上げた。すると黒龍が姿を現し、黒姫を乗せて駆け上った。それから二人は共に山の池へと移り住み、その山は黒姫山と呼ばれるようになった。」

 この伝説は最近の皇族の結婚話を連想させるかもしれませんが、このような伝説は古代の神話とは随分と違います。神話と伝説の区別は何なのか、それを考えるためにも三つの黒姫山を比べてみる意義があるのではないでしょうか。