妙高の神社の未来:メモ

 氏子はその地域の氏神様を崇敬して仕えるのに対して、檀家は寺院に所属し、お布施などの援助を行ったり、法要の手伝いをする代わりに、寺院にお葬式や法事などを執り行ってもらう、というのが一般的な説明です。氏子が仕えるのは神ですが、檀家は仏より寺院に仕えます。この説明の中の「崇敬して仕える」、「仏より寺院に仕える」とはどのようなことかと問うと、神仏習合の歴史がもつ多くの曖昧な事柄が浮き彫りになってきます。

 日本の仏教や神道の特徴は、神仏習合鎮護国家思想にありました。仏教には教派の教義がありますが、神道には教義がなく、布教は行われていません。神仏習合とはいえ、宗教は仏教、文化は神道という棲み分けがなされていたようです。

 氏子も檀家もその数は減少を続け、限界集落に似て、寺社の存続は予断を許さない状態にあります。特に、神社の存続は危険領域に達していて、存続には何が必要かが議論されています。そこで、妙高市の現状と、寺社の未来について考えてみよう。

 

<神社の現状>

 新潟県の神社数は約4700社で、2位の兵庫県に1000近い差をつけて全国で最多です。その理由の一つが、明治の頃、新潟県は人口が日本で一番多い県だったこと。明治21年の人口は約166万人、次いで兵庫県の151万人で、何と東京都は4位でした。明治政府は神社の統合を呼びかけましたが、当時の新潟県は他県ほど強力に統合を推し進めませんでした。これが二番目の理由で、その結果、多くの神社がそのまま残ることになりました。

 新潟県内にある神社の約4分の1が「諏訪神社」に関連する神社で、県内で最多です。 全国2万以上ある諏訪神社の総本社は長野県諏訪市諏訪大社。そこに祀られているのが「建御名方神(たけみなかたのかみ)」。その母親が糸魚川の「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」です。出雲勢力が日本海側を北上し、内陸に入っていく道筋の一つが妙高であり、それが諏訪大社までつながっています。

 新潟県神社庁のリストによれば、妙高市には神社が何と94もあり、その中でも最も多いのが諏訪社で、23社もあります。次が八幡社で18、そして神明社の13です。妙高山麓に神明社が集まり、諏訪社は海岸、平野に広く分布しています。八幡社は全国的に分布していて、それが新潟県でも見られます。

 仏教と神道の組み合わせは色々考えることができますが、妙高市真宗・諏訪社が多い平野部と、真宗神明社が多い妙高山麓部に分けられそうです。

*<寺院の現状>も知る必要があります。

 妙高市の寺院数は71。その内訳を見ると、単立1、曹洞宗1、真宗大谷派(東)45、浄土真宗本願寺派(西)22、真言宗醍醐派修験道)1、天台寺門宗1となっている。すぐに気づくように、大半が浄土真宗で、それもお東が優位を占めている。寺院の94%以上が浄土真宗という数値は新潟県でトップだけでなく、真宗のホームグラウンドと言われる福井、石川、富山の3県の割合(多くて8割強)を大きく離して断トツなのである。旧新井市、旧妙高村、旧妙高高原町は優に9割を超え、妙高はどの地域も真宗寡占状態で、これが少なくても江戸時代から変わっていないのである。この数字を信用するなら妙高市浄土真宗一色に染まり、人々は押し並べて信心深い門徒ということになる。

 

<神社の未来>

 さて、より深刻な神社の未来について、ハレ、ケ、ケガレという既述の民俗学的概念を使って考えてみましょう。これら概念は教義ではなく、昔の日本人はそのように考えていたという伝承でしかありません。とはいえ、先祖たちが大切に守ってきたものです。現在の私たちが神社と関わりをもつのは、日常の参拝を除けば、盆と正月のお参りと祭りが際立ったものです。日常のケが減じて、ケガレが生じ、それをハレによってケに戻す、というサイクルを考えれば、ハレが家や共同体の正常化に不可欠で、その代表が稲作に係る様々な祭りということになります。少々短絡的ですが、ハレとしての祭りを年間行事として整理し、系統を越えて、神社間で話し合い、適切なスケジュールの元で祭りプランを練り上げることです。妙高市の新井別院の「おたや」に匹敵するような、各神社総力を挙げての祭りプランを考えるのもよいでしょう。

 「祭りの整理や統廃合を通じて、地域社会の再編を図る」という案は、行政が考える「地域社会の再編を通じて、祭りの整理、統廃合を図る」という順序とは逆になっています。いずれが正統の方法であるかどうかは問わず、逆の方法の方が簡単という場合にはそれで構わないといった柔軟な姿勢で考えるのも一つのやり方だと思われます。