宗教的な多様性:上越と妙高

 親鸞浄土真宗の開祖ですが、1207年35歳の時、「承元の法難」によって越後に流されます。流刑地越後国国府で現在の上越市。京都から琵琶湖を北上し、越前、越中の山道を抜け、糸魚川から船でこの遠隔の地に流されました。親鸞が上陸したのは直江津港に近い「居多ヶ浜(こたがはま)」。越後の海が親鸞に影響を与えたことは、「海」という単語が『教行信証』に70回以上も登場することからわかります。冬の日本海に面した居多ヶ浜に上陸した親鸞が最初に訪れたのが「居多(こた)神社」です。親鸞国府の代官に預けられ、近くの五智国分寺辺りに庵を建て、暮らしました。そして、越後出身の恵信尼と結婚し、4男3女の子供を授かったといわれています。

 親鸞は1211年には赦免され、家族とともに常陸の国(現在の笠間市)に移り、そこで布教活動を行います。『教行信証』(の草稿)を完成し、その喜びを道場の名前にしました。それが「歓喜踊躍山浄土真宗興行寺」、略して「浄興寺」です。このお寺は後に信濃に移り、川中島の戦いで炎上したため、上杉謙信公の招きで春日山城下に、そして現在の地(高田寺町)に移りました。高田寺町には現在でも64の寺院があります。内訳は、浄土真宗36、曹洞宗10、浄土宗6、真言宗4、日蓮宗7、時宗1となっていて、意外に多様なのです(これは寺町のみの数です)。

 一方、現在の妙高市の寺院数は71。その内訳は、単立1、曹洞宗1、真宗大谷派(東)45、浄土真宗本願寺派(西)22、真言宗醍醐派修験道)1、天台寺門宗1です。すぐに気づくように、寺院の94%以上が浄土真宗です。妙高市の街を歩いても宗教的な看板やスローガンなどに出会うことはまずありません。越前、越中のようにかつて激しい一揆があったとも伝わっていませんし、新井別院の前にあった願生寺が異安心事件でつぶされたことくらいがせいぜいの事件で、それさえ知らない市民がほとんどです。でも、統計資料を見るだけで妙高市の寺院の9割以上が浄土真宗であることがわかります。この数値は新潟県でトップだけでなく、真宗のホームグラウンドと言われる福井、石川、富山の3県の割合(多くて8割強)を大きく離して断トツなのです。妙高市はどの地域も真宗寡占状態で、これが少なくても江戸時代から変わっていないのです。この数字を信用するなら、妙高市の人々は押し並べて信心深い門徒ということになります。

 でも、上越市の高田寺町には浄土真宗だけでなく、他の宗派も適度に存在していて、バランスが取れています。これはキリスト教会を比べても似ています。上越市には16の教会があり、カトリックプロテスタントのそれぞれの教会があるのに対し、妙高市にはプロテスタント系の教会があるだけです。

 二つの市を寺院で比べると、多様な上越市、一様な妙高市となります。浄土真宗の熱心な門徒が多いのが妙高市だと考えることもできるのですが、これはどうも現在では正しくなさそうです。多様な宗派がある上越市、一様で僅かな宗派しかない妙高市と特徴づけた方がよさそうです。この違いは、大きな町の複雑な人口構造と小さな町の単純な人口構造と呼んでもよいでしょう。そして、多様な宗派の存在は人々の自由な選択を許すことになりますが、独占状態の中では宗派の選択はほぼできません。

 多様性と選択という観点からは妙高市より上越市の方が優れているということになります。熱心な門徒の集団が妙高市の人々だったかも知れませんが、それは随分昔のことで、今は形式化した門徒集団だけが残っているということになるのでしょう。