トランプ政権が陰謀論を利用して選挙をうまく戦い、多くの票を獲得したことで、あちこちで「陰謀論」が議論されている。アメリカ政治の文脈を離れ、陰謀のもつ意義を抜き出してみよう。
(1)飲んでいた薬が急に見えなくなった。入れておいた筈の場所には何もない。きっと誰かが隠したか、捨てたに違いない。この家には私と夫しかいない。夫は意地悪だ。だから、夫が隠したか、捨てるかして、私を虐めたに違いない。これは夫の陰謀である。それに対して私は戦わねばならない。夫に問い質す必要がある。
(2)薬が無くなり、入れておいた筈の場所には何もない。最近よく忘れる。2週間も使っていなかったので、その間に保管場所を移したのかも知れない。部屋中を丁寧に探してみたが、見つからない。夫が冷蔵庫を閉めた音がする。その音がトリガーになって、「冷蔵庫」が思い出され、すぐ中を確認。すると、なくなったと思った薬が見つかる。
薬の所在がわからなくなり、そのことに対して、誰かの陰謀だと考えるか、自分が忘れたためと考えるかによって、その後の思考や行動がすっかり変わってくる。私たちの日常生活では珍しいことではない。しかし、私たちの心的環境は(1)と(2)ではまるで異なっている。私たちの判断は私たちが置かれた状況や文脈に依存するが、(1)と(2)の違いは状況や文脈から独立している場合がしばしばあり、根深い違いになっている。とはいえ、その違いを適当に使い分けて社会の中で他者と付き合っているのが私たちであり、それを巧みに利用さえしている。
陰謀論の根底にある特定の感情や情緒は他者に対する心的態度を最初から決めてしまい、社会や他者への態度の公平性を妨げることになるのだが、実際の私たちの態度には不可避的に感情や情緒が伴っていて、陰謀論の根深さを示している。