ふるさとを核にして、夢のGreater Myokoへ

 ふるさとについて幾つか考えてきました。それらを通じて妙高市がどのようなふるさとなのか、どのような未来妙高が見えるのか、そんなことをスケッチしてみるのも時には楽しいものです。そこで、そのきっかけとして次のような五つの区別を取り上げましょう。
 
(1)ふるさとである妙高
(2)ふるさとでしかない妙高
(3)ふるさとであり、かつそこで暮らす妙高
(4)ふるさとでなく、そこで暮らす妙高
(5)ふるさとにしたい妙高

青雲の志を立て、ふるさとを出た人たちが懐かしく思い出すのが(1)の妙高で、えちご妙高会の会員の多くがこの(1)のグループです。仕方なく、故郷を去った人たちと言えば、長男以外の男性や嫁に出た女性たち、さらには異郷の地で失敗した人たち、それらの人たちがこの(2)のグループになるでしょう。ふるさとにそのまま住んできた人たちが(3)で、この人たちが故郷についてどう考えているのか、そしてそれが年齢と共にどのように変わってきたのか、私が最も知りたいことです。(4)は妙高に移住した人たちで、(3)の人たちとどのような関係にあるのかも私が是非知りたい事柄です。流石に「よそ者」概念はなくなったと思うのですが…(5)は妙高市以外の人たちからなり、若い世代が妙高市についてどんな印象をもっているのか、特に自らの子供たちのふるさとにしたいかどうか、これも私がとても知りたい点です。
 Greater Boston、首都圏といった言葉が想い出されるのですが、それに倣えば、Greater Myoko、妙高圏、大妙高といった表現によって、妙高に連なる人々、地域、文化、社会を一つにまとめることができます。Greater Bostonも首都圏も空間的な領域を指しているのですが、Greater Myokoや妙高圏では空間的だけでなく、時間的な範囲も含めて考えてみたいと思います。特に、ふるさと概念は時間的な幅に依存しており、老いも若きも同じ妙高圏に属し、その多くは上記の5つの意味で「ふるさと」として妙高を記憶し、妙高で生活している人もいない人も含んでいます。
 Greater Myoko、妙高圏の住人は妙高市の市民であり、住民票が発行されるのですが、狭義の妙高市民は純市民と呼ぶことができます。一人一人の人生に良きにつけ悪しきにつけ関わるのが妙高圏であり、妙高市役所はその仕事を拡大して、市民に対するサービスを行うことになります。これは新しい行政区域、行政サービスを意味していますが、その核にあるのが5つの「ふるさと」概念であり、それによってGreater Myokoが近未来の生活地域になっていくと想像できます。こうなると、妙高市民は日本中に広がり、コンパクトな塊ではなくなりますが、そのつながりはふるさとにあるのです。

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