「ふるさと」なぞなぞアンケート

 「ふるさと」という言葉はどのような意味なのでしょうか。私には考えだすとわからなくなる典型例です。誰もが知っている言葉の筈なのですが、時と場合に応じて一人の人でもその内容が一変してしまいます。子供にとってのふるさと、老人にとってのふるさと等々、何とも厄介な変幻自在の言葉なのです。私の出身地は妙高市ですが、今の妙高市の小中学生は誰もが疑いなく妙高市をふるさとだと教えられています。妙高市は2005年に誕生しましたが、それ以後に生まれた人たちとそれ以前の人たちとでは「ふるさと」がどこかという基本的なことについても意見が異なる筈です。実際、新井市でしか生活しなかった私には妙高市という概念は頭の中だけのもので、実感のあるふるさととなれば、新井市の一部ということになります。これは合併して妙高市となった妙高高原町妙高村の出身者にも言えることで、それら既になくなった町村をふるさとだと答える人がほとんどではないでしょうか。

 「新潟県中頸城郡新井町大字小出雲」というのが子供の頃の私の住所でしたから、新潟県中頸城郡新井市、新井町、小出雲のどれもが私には「ふるさと」であり、時には日本さえ私の「ふるさと」です。「ふるさと」はなんとも融通無碍で、曖昧なのですが、それは私だけのことではないでしょう。このような「ふるさと」の範囲という単純な問題だけでなく、「ふるさと」の中身も問題になります。

 「ふるさとを象徴する特徴は何か」はふるさとが何かを具体的に考えるうえで不可欠の問いです。自然、歴史、文化、産業等々の中の何がふるさとを象徴するものなのでしょうか。特に、妙高市の場合はどうなのでしょうか。多くの妙高市民はその答えとして自然とその風物を挙げると予想できます。「雪と妙高山」が妙高市の特徴というのが予想される答えです。

 妙高市民だけでなく、拡大された妙高人たちにとって、それぞれの「ふるさと」は何なのかは概念的な事柄としてではなく、各人の考えを集め、分析することによってわかってくるものではないでしょうか。そのために何が必要かとなれば、それはアンケートだというのが大方の答えでしょう。私の個人的疑問は、妙高にとどまった人たち、妙高を離れた人たち、妙高市発足後に生まれた人たちのそれぞれの「ふるさと」の意味です。私はそれがアンケートによって具体的に浮き彫りになると思っています。

 どのようなアンケート項目なら、ふるさとが浮き彫りになるのか、既に多くのアンケート例があり、いくつかの結果が出ている筈です。それらを探してみるつもりです。