私のたくらみ(2)

 熊坂長範や児雷也伝説に何度もしつこく言及したのも、妙高市周辺の伝説や昔話を掘り起こし、注意を喚起することにありました。そこでの私のたくらみは、子供たちにそのような昔話だけでなく、自分のふるさとの歴史や文化を詳しく伝えることにありました。

 熊坂長範も児雷也も能や歌舞伎という芸能を通じて「脱ふるさと化」され、全国に知られるようになりました。それをもう一度「ふるさと化」して、子供たちそれぞれのふるさと記憶の中に正しく記憶してほしいというのが私のたくらみと言うことになります。子供のふるさと形成は刷り込みに似た学習だと昨日述べました。動物行動学者のローレンツはハイイロガンのヒナを使ってガチョウを親だと思わせるよう刷り込みました。それと同じように、子供たちに正しい(と親や大人が認識した)ふるさとの情報や知識を学習させようという訳です。そもそも学習は子供に意図的に情報や知識を与えることですから、子供をコントロールするという意味では、学習は人類の子供コントロールというたくらみなのです。

 神話から伝説へ、さらには昔話へと伝承されてきた歴史は邪馬台国の所在などの謎が多くても、今の妙高の成立に繋がっています。神話の奴奈川姫から九頭龍伝説、熊坂長範や児雷也の昔話へと繋がり、当然ながら事実としての歴史が現在のふるさとまで続いてきました。それらが、例えば、西脇順三郎や相馬御風の作品の中で「ふるさと」として垣間見ることができます。それらも既に何度も述べました。彼らの作品には子供時代に刻印され、刷り込まれた記憶が蘇り、再認識される様が描かれています。

 子供たちに自然な仕方でふるさとを学習してもらいたい。その学習内容は親や住民たちの希望や魂胆を中心にして、ふるさとの過去や現在を正しく伝えることを第一にします。当然そこには未来のふるさとを子供たち自身につくってもらうヒントになるような情報、知識をしっかり組み込む必要があります。これが私のたくらみということで、せんじ詰めれば、情報、知識の操作によって子供たちをコントロールし、各自にふるさとを持ってもらおうという、至極まっとうな教育的試みだと思っています。

 私がふるさと学習について刺激を受けた一つが、斐太北小学校区学校運営協議会(代表吉住安夫)による歴史副読本の作成でした。その副読本のタイトルは『ふるさとの歩み わたしたちの斐太北』で、2021年3月に刊行されました。詳しい年表がついた100ページの本には多くの画像や図表が組み込まれています。斐太北小学校の子供たちのふるさとを学習によってつくり出そうという具体的な試みです。このような試みは歴史だけではなく、他の分野でも、そして当然ながら他の小中学校でもなされている筈です。それらをまとめて、妙高市全体でどのようなふるさと像を子供たちに呈示しているのでしょうか。

 妙高市の色んなビジョンが何ページにもわたって喧伝されるなかで、私の実に簡単なたくらみ、つまり子供たちに持ってほしい「ふるさと」は一向に姿を見せないのです。

*「妙高市」は行政地域ですから、頸城郡がふるさとのより適切な区域かも知れません。