ふるさと化し、脱ふるさと化する物語

 様々な人々が日本に渡来し、彼らが知識、技術、思想、宗教などをもたらし、それらが国をつくる礎として利用され、奈良や京都を中心に日本の国造りが実行されて行きます。その建国の歴史には実に多くの外来のものが移入され、それらが巧みに組み合わされ、融合され、日本の歴史がつくられていきました。

 なかでも権力者たちが注目したのが仏教です。仏教は国造りに切り札として使われ、仏教による鎮護国家が目指されました。仏教の政治的な強制が真に自発的な信仰活動に変わるのは鎌倉仏教です。官製の仏教が民衆の仏教に変わり、ふるさと化され、人々の間に瞬く間に広まり、脱ふるさと化され、日本全土へと広がっていきました。

 移入され、各地に残った物語は人々に静かに語り伝えられ、書き記され、守られていました。それぞれの地方、地域で受容され、そこで個別的に取捨選択され、異なる地域で異なる物語が伝承されていくことになります。この文化進化は様々で、各地域に偶然的な違いを生み出していきます。外来種としての物語は先着の物語と競合しながら、帰化種として風雨にさらされ、生存闘争が繰り広げられました。その結果、移入された物語は土着の物語としてふるさと化されていったのです。

 思いきり単純化すれば、外来種の宗教や物語が定着することが「ふるさと化」であり、それがさらに勢いを増して生息区域を広げていくのが「脱ふるさと化」です。このように考えると、昔話や伝説はまず元の物語が移入され、根付き、ふるさと化されたものだということになります。そして、昔話や伝説のシナリオがそこで再推敲され、その中の幾つかが人々の関心を呼び、脱ふるさと化され、芸能化された形で全国版になるのです。比較的固定的な地方版に対して、全国版の流行は栄枯盛衰が激しく、実に流動的です。

 このような栄枯盛衰を「熊坂長範」や「児雷也」に見ることができます。海外から日本へ渡来した知識や文化が引き起こす現象に共通する特徴が知識や宗教だけでなく、昔話や伝説にも見られるのです。それだけでなく、生物の外来種の歴史の多くも似たような経緯を辿り、よく似た現象を見出すことができるのです。生物進化と文化進化には多くの共通部分があることは直感的に理解できます。

 私たちを惹きつける物語は単なる奇談でも超常現象でもなく、アウトローが超人的能力をもって戦いを繰り広げる物語であり、私たちの心を揺さぶり、本能を刺激します。そのような物語が脱ふるさと化され、人気を博して全国版となっていき、能や歌舞伎、講談や落語といった芸能を生み出し、それらを通じて物語は人々に受容され、生き残っていくことになります。それは鎌倉仏教が信徒を増やし、人々に熱狂的に受け入れられていき、社会の一部として残存しているのによく似ています。

 その一例が児雷也伝説です。蝦蟇仙人(がませんにん)は中国の仙人で、青蛙神を従えて妖術を使うとされていますが、それが『自来也説話』、『児雷也豪傑譚』に登場することによって、日本では児雷也として人気者になりました。中国で著名な八仙を差し置いて、日本では蝦蟇仙人が人気を博したのです。その蝦蟇仙人と同じく、蝦蟇の妖術を使う仙人が仙素道人で、彼が住むのが妙高山児雷也妙高山で仙素道人から蝦蟇の妖術を学び、黒姫山に住むことになり、越後の青柳池で生まれた大蛇丸と戦うことになります。大蛇と蝦蟇は中国由来の超動物であり、これに蛞蝓(ナメクジ)が加わり、人々を惹きつけること間違いなしの「三竦み」という構図をもった戦いのシナリオが出来上がったのです。

 自来也児雷也からNARUTO自来也をモチーフにした忍者で蝦蟇仙人の異名を持ち、蛙を使役する忍術を使う)まで、脱ふるさと化された芸能の人気の栄枯盛衰は激しいものがあり、それはこれからも続くことでしょう。

*11月17日に投稿した「移入された物語の変容:ふるさと化と脱ふるさと化」の増補改訂版です。昔話や伝説の多くは仏教に代表される大陸文化に起源をもち、日本に移入され、ふるさと化されたものであり、その中から芸能として人気を博したものが脱ふるさと化されたというのが私の主張です。