ギリシア人は、フェニキアの文字からギリシア文字をつくり、彼らの学問や文学を記録しました。ソクラテスやプラトンは、対話や議論を通じて知識を得ることを重視しましたが、プラトンはその学園アカデメイアに図書館を設けました。テキストによる知識の獲得を確立したのはアリストテレスで、彼は図書館を設け、たくさんの書物を収集し、保管していました。ギリシア人は演劇が好きでしたが、各ポリスにはアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの三大悲劇作家の作品を収蔵した公共図書館がありました。ですから、学問、文学は信じられない程完璧に残っているのですが、それとは反対にギリシャ人の日常生活、衣食住に関する記録は図書館には保管されず、ほとんど残っていません。古代ギリシャ語とそれを使った思想、哲学、文学はよくわかるのに、彼らの日常生活はよくわからないという不思議な結果になっているのです。
アレキサンダー大王の大帝国が滅び、エジプトにはプトレマイオス朝が成立します。プトレマイオス1世は、首都アレクサンドリアを学術文化の中心にしようと、王立研究所(ムセイオン)を作り、多くのギリシア人学者を招聘し、大図書館を併設する計画を立てました。次のプトレマイオス2世も蔵書の充実に力を入れ、アレクサンドリア図書館は70万巻を超える書物を所蔵することになりました。 印刷の発明はずっと後のことで、本はすべて手書きの写本(マニュスクリプト)でした。アレクサンドリア図書館の膨大な蔵書は学術研究用であり、一般市民に開放されることはなく、知識は一部の人に所有されるものでした。今の私たちの公共図書館の概念とはまるで違います。
アレクサンドリア図書館と並び称されたのが、小アジアのペルガモン図書館です。創設したのはペルガモン王国のアッタロス朝第2代国王エウメネス2世及び第3代アッタロス2世で、アレクサンドリア図書館に劣らない蔵書を集め、最盛期には蔵書20万巻を所蔵していました。その特徴は、パピルス紙による写本から羊皮紙(ヒツジの皮を鞣してつくられた紙)の写本が増えたことです。
アレクサンドリア、ペルガモンという古代地中海世界における二大図書館はローマ帝国の支配下に入ります。カエサルはアレクサンドリア図書館やペルガモン図書館のような大図書館を作る構想を持っていたらしいのですが、暗殺されてしまいます。カエサルの部下ポリオ将軍は前39年に「自由神殿」と呼ばれる図書館を設立し、これが公開図書館としてはもっとも古いものです。その後のローマ歴代皇帝も多くの図書館を建設しています。ローマ帝国の最盛期には、市内に28もの図書館があったといわれます。ローマの公共図書館は、そのすべてが市民に公開され、文字を読める人であれば誰でも利用できました。その意味で、古代オリエントの時代の図書館から一歩進んだものでした。
ここまで古典的な図書館について述べてきましたが、図書は写本、パピルス紙、羊皮紙で、哲学、文学、思想、法律が中心でした。なぜそれだけで世界に関する知識を代表できたのでしょうか。それがここで私が述べたいことで、図書館概念の古典版がローマ時代までにつくられ、その出発点がギリシャの学問(哲学)にあったのです。学ぶ、知識を得る、研究する、知るなどの研究と教育は書物を読むこと、書物を理解すること、書物を注釈することによって実行されます。これが古典時代の研究教育方法だったのです。中学校で『源氏物語』や『徒然草』を理解するために、教科書の「注釈」を使ったのを憶えている筈です。現代日本語で内容が訳され、解釈されていました。それとほぼ同じような仕方で、プラトンやアリストテレスの著作を膨大な数の注釈書を使って理解し、解釈するのが学問研究の正統的な方法だったのです。今の科学研究とはまるで異なりますが、文系の学問ではこの注釈研究が今でも有効な方法として使われています(法学はその代表例)*。ですから、哲学はプラトンの注釈だと言われても、即否定はできないのです。原典とその注釈、注釈についての注釈と、注釈の系譜ができていき、X派とかY派といった注釈グループにまで分かれる始末です。こうして、学問研究は書物に集約され、書物を丹念に読み、分類し、注釈し直すことに尽きることになり、それら研究活動を収集すれば、その結果は図書館となる訳です。古典的な学問概念と見事にフィットしているのが古典的図書館で、研究成果はすべて図書館に記録されていて、そこで研究が遂行できることになります。「知ること」、「知識」の成果が所蔵され、同時に研究の現場であるのが図書館であり、正に「知の拠点」という古典的知識像の具体的結実ということになります。
しかし、私たちは科学革命を通じて、古典的な学問とは根本的に異なる自然科学と科学技術を手に入れ、産業革命へと進んでいきました。ガリレオから始まる新しいタイプの世界観が生まれ、感覚的な経験と数学を使った古典力学が誕生し、実験や観察が知識獲得に不可欠のものとして登場し、読書や注釈は不毛な方法として退けられることになります。本を読んでも世界はわからない、世界を直接自分の眼で確かめ、正確なデータを数学的に表現し、実験することによって仮説を確かめるという、今の皆さんには当たり前の研究方法ができ上がります。このように、「知る」ことの方法が変わると、当然ながら図書館の役割も変わらなければなりません。図書館は知識をつくる場所から、知識を伝える場所に格下げになります。これが今の私たちのおおよその図書館概念です。図書館で読書することで何かを知るにしても、それは新しい知識を知るのではなく、既存の知識を学ぶだけだと私たちは思っています。これが古典的な図書館とは異なる近代的図書館像で、既存の図書館は知識の伝達だけの場所ということになります。
それでも図書館を知識創造の場にしようとすれば、実験や観察の結果やデータ、仮説の確証などを迅速に他の人に伝える役割を図書館に与えることです。図書館に原典や注釈書を置くのではなく、迅速に情報を伝える媒体、つまり学術雑誌だけを置き、一刻も早く研究結果を回覧することです。多くの人の研究成果を一挙に伝えるシステムが図書館という訳です。私の大学の医学部や理工学部の図書館には一般図書などなく、基本的に学術雑誌しかありません。情報回覧システムが図書館という訳です。
このように見てくると、古典的図書館と近代的図書館は「知の拠点」と呼ばれても、その中身も役割もまるで違っているのです。このような状況の中で、「知の享受」と「知の創造」のバランスを上手くとって新図書館プランを練ることになります。
新しくつくられる図書館が公共の図書館ならば、その公共性は市民以外にもオープンなのか、閉架書庫の蔵書も見ることができるのか、他の図書館の蔵書にアクセスできるのか等々、図書館の性能について慎重に考える必要があります。今更古典的図書館を目指すことはないでしょうが、どのような近代的図書館を実現したいのか、多くの意見を参考にして慎重に決めるべきでしょう。
*余談。「哲学が専門です」と私が言うと、「誰の哲学ですか」と当たり前のように聞かれます。尋ねる人は「カントの哲学です」というような返答を恐らくは期待しています。「カントの哲学を研究する」という表現は今では珍しい表現になっていてほしいのですが、未だに通用する表現です。でも、これは古典的な学問研究を実に見事に示す表現なのです。これは、カントの著作を丹念に読み、注釈を参照し、カントの主張を正しく理解し、より詳しく細部をつめる、そしてこれが哲学の研究である、ということです。この例こそが、ギリシャ以来古典的学問の方法として通用してきたものなのです。