「諸行無常」、「色即是空」はなぜ真なのか(1)

 タイトルの二つの言明が真なることをもって仏の救済を受け入れる人が多い。だが、これら言明が真かどうかはどうやって確かめることができるのか。仏をひたすら盲信するなら別だが、仏を信じる一助としてこれら言明を信じようとすると、その理由はなかなか見つからない。だから、これら言明が真である確証が必要になってくる。タイトルの問いへの答えを仏教が最もアカデミックだった時を中心に探してみよう。

まずは、仏教以前から
 業(karman)は行為のことで、行為が成就すれば、目的が実現する。だが、努力がいつも報われる訳ではない。それはどうしてか。業の理論は、それを「前世の行為」のためだと主張する。よい行為は幸福をもたらし、悪い行為は不幸をもたらすというのがその基本原理。こうして、業は輪廻の原因とされ、生まれ変わる次の生は、前の生の行為によって決定されるという。これが業による因果応報の理論である。
 苦行は「熱」を意味し、『リグ・ヴェーダ』では宇宙創造にかかわる「熱力」という意味で用いられ、断食のような肉体を苦しめる修行によって神秘的な熱力が獲得されると信じられていた。現在では、ヨーガは健康法だが、本来は精神統一の方法である。サーンキヤ思想が起こると、そこでは散逸しようとする心や感覚器官を思惟機能が静めて「つなぎとめる」という 仕方で、精神統一の意味で用いられるようになった。
 ウパニシャッドは、ヴェーダの最後を飾る哲学的な文献群である。多くの哲人が登場し、宇宙の根源、人間の本質について様々に思索を展開するが、おおむねヴェーダ祭式と神話に源を持つ。特に、ヴェーダ祭式において宇宙を支配する原理と見なされたブラフマンについての考究がなされ、その結実がウパニシャッドの代表的な思想「梵我一如」の思想である。ウパニシャッドは、ヴェーダの神話と祭式の伝統の上に成り立ったものだが、その成立は社会の変化と無縁ではない。その思想は、それまでのバラモンの祭式思想、祭式万能主義とは明らかに異質である。ウパニシャッドの思想は知ることそのものの追究へ力点が移動している。あるものを知り、そのものになることによって、そのものの力を獲得することができる。宇宙を支配する原理を知ることによって、その宇宙原理に自己が同化し、自在な境地に到達できると考えるのである。バラモン思想が「祭式は力なり」とするのに対し、ウパニシャッド思想は「知は力なり」とする。この場合の知は「分析的、合理的な知」ではない。言葉を離れた、体験によって知られる「直観的な知」である。「知ること」とは「なること」なのである。瞑想や苦行を通じて、宇宙を支配する神秘力に直接触れ、体験することなのである。
 ギリシアでは神話的な思考から脱却することにより、哲学が生まれた。インドでは、呪術的な思考を究極にまで押し進め、神秘的なものの真髄を追求することから哲学的な思索が生まれた。ヴェーダ時代に属するとされるウパニシャッドは、紀元前600年代あるいは500年代から数百年かけて成立した。
 「梵我一如」の思想は、梵、すなわち「ブラフマン」と我、すなわち「アートマン」が同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする。ブラフマンは、宇宙を支配する原理である。ブラフマンは、もともとは、ヴェーダの「言葉」を意味する語で、呪力に満ちた「賛歌」、「呪句」を表した。やがて、それらに内在する「神秘力」の意味で用いられるようになり、さらに、この力が宇宙を支配すると理解されて「宇宙を支配する原理」とされた。アートマンは、私という個人の中にある個体原理で、私をこのように生かしている「霊魂」であり、私をこのような私にしている「自我」である。
 この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、瞑想の中で直観することを目指すのが梵我一如の思想である。これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとする。梵我一如の思想の背景にあるのは、ヴェーダ祭式の「同一視の原理」である。「同一視の原理」は呪術の原理で、例えば、獲物の足跡に傷をつける猟師のまじないがある。足跡を獲物の足と同一視して、それに傷をつければ獲物は遠くへ逃げられないと考える。ヴェーダの祭式では、祭式の場にあるものを神話の世界や自然界の事物と同一視する。
 これに対して、ウパニシャッドの哲人たちは、同一視の原理を祭式でなく、瞑想で用いた。瞑想でAをBと同一のものとみなして意識を集中する。意識の集中により、分別による知を乗り越えて、対象が直観される。そのとき、主観は対象の中に入り、対象と融和する。対象そのものになり、同化する。同化すれば、それのもつ力が自分のものになる。こうして、瞑想によって対象そのものになり、その対象のもつ力を体得することをめざす。気息、目、耳、思考力などの生活諸機能がブラフマンとの同一視の対象とされた。ウパニシャッド思想の発展とともに、それらは、個体原理アートマンと宇宙原理ブラフマンの同一視に収束していった。後にバラモン思想の主流となるヴェーダーンタ思想は、梵我一如の思想を発展させたものである。また、大宇宙(梵)と小宇宙(我)の融合合一という考えは、その後の神秘主義思想に繰り返し登場する。
*こうしてインド古代思想の特徴は、理論的な「知る」にあるのではなく、実践的な「知る」と言霊的な「知る」にあることがわかる。「知る」、「信じる」のもつ複数の意味とその変化は複雑極まりなく、宗教や倫理にはそれら複数の概念があえて混乱を起こすような仕方で使われてきた。

次に、仏教の始まりから
 釈迦の生没年はアショーカ王の年代と重ねて考えられてきた。アショーカ王は、およそ前268年即位、前232年没とほぼ確定されているが、釈迦との年代の間隔については、伝承により異説がある。南伝説では、アショーカ王生誕を仏滅後218年とする。これによれば釈迦の入滅は前486年頃になる。北伝説では、アショーカ王生誕を仏滅後116年とする。これによれば釈迦の入滅は前383年頃になる。釈迦は、南伝説によれば古代中国春秋時代末期の孔子(前552-477年)と、北伝説よればギリシアソクラテス(前469?-399年)とほぼ同時代の人である。
 釈迦は、体系的な理論を説いた訳ではない。説く相手に応じて説き方を変えたといわれる(対機説法)。最古の経典には、整備された教理は見出されない。釈迦は理論よりも実践を重んじた。しかし、その教えには一貫した傾向が認められる。当初の釈迦の教えは、宗教的というよりも合理的で倫理的であったが、釈迦の教えに信頼を寄せ、帰依する人々の集団が形成されるにつれ、急速に宗教性が強まった。釈迦のものの見方は、きわめて合理的である。苦しみが生ずるには、そこにかならず何らかの原因や条件が働くと彼は考えた。なぜ、苦しみが生まれるのかを釈迦は理性的に追求した。「この世のすべてが無常だから」がその答えの一つ。
 世界が無常であることを示すことによって、この世の苦しみを説明する一方で、苦しみを滅するために、苦しみを生み出す原因が何であるかを追求することも行われた。その結果が「縁起説」である。「縁起」とは「よって起こること」で、具体的には「苦しみは何らかの原因、条件(因縁)によって起こり、その原因、条件がなくなれば、苦しみもなくなる」という説である。つまり、「縁起説」は苦しみを生み出す因果の系列を遡って、苦しみの根源を探りあて、それを滅することにより苦しみを解消しようとする。これは後に整備され、因果系列の項目が十二にまとめられる(十二縁起)。十二縁起説では「根源的な無知」が苦しみの根本的な原因とされ、「悟り」と対置される。対論する相手に応じて、さまざまに説かれるが、もっとも多く登場するのは欲望である
 欲望を制するものは何か。釈迦は欲望を制するものとして智慧を重視する。この立場は、当時勢いのあった苦行主義と異なる。後者は、欲望とそれによって行われた行為の結果(業)を心についた物質的な垢とみなし、肉体的苦痛を耐えることから生ずる熱力によって、それを払い落とそうとする。これに対し、釈迦は欲望を心の働きとみなし、苦行ではなく、真理を悟る智慧によって、欲望は制することができると説く。
 釈迦の教えは「真理を悟ること」による安らぎを究極の目的としている。そのために智慧が重視され追求される。しかし、それは単に知識を獲得すればよいということではない。知識があるだけでは聖者ではない。安らぎへいたる正しい生活を送るために、どのような心をもち、どのように行動すべきかが具体的に説かれる。たとえば、名声・財産・食物・衣服・異性などに対する禁欲、あるいは嘘・怠惰・怒り・後悔など心を汚す行いを避けることなどであるが、これらを集約するものとして強調されるのが、「執着するな」ということである。また、自説にこだわり論争することは避けよ、と説かれる。論争では、安らぎを得るための智慧の追求が、論敵に勝つための理論の追求に変わる。しかも、日常経験の範囲を越えた形而上学的な問題が扱われる。それらは経験によって確かめられない。肯定・否定の両論が並列し、決着はつかない。論争は、論争のための論争に陥る。釈迦はこれを無用と考えた。
 この世の苦しみを脱して到達される安らぎが「涅槃」である。仏教の究極の目的である。涅槃は「消滅」を意味し、欲望を火に喩えれば、涅槃は火の吹き消された状態である。また、欲望を激流に喩えれば、涅槃はそれを越え渡ったところであるから、「彼岸」でもある。涅槃は、後に死と結びつけられるが、はじめは現世において得られるものとされていた。
*「縁起説」の主張する縁起あるいは因果関係がどのようなものかの説明をしようとすると、困ってしまう。どのようになるのかうまく表現できない。論争は時には明確な結果を生むことがあり、常に悲惨な結果になる訳ではない。争いは不幸を生む可能性があるから避けるべしというのは常識の智慧なのか、消極的な反応に過ぎないのか、いずれだろうか。

原始仏教の教義
 釈迦に帰依する人々が集まり、僧団が形成され、それが発展するとともに釈迦の教えは、急速に整備され、体系化されていった。
1無記
 原始仏教が教義をつくっていく上でとった基本的な立場は、「無記」である。「無記」とは、形而上学的な問題について判断中止(エポケー)し、沈黙を守ることである。無用な論争をせず、苦しみからの解放という本来の目的を見失わないためにとられた立場である。世界が永遠か否か、有限か否か、生命と身体が同一か否か、人が死後存在するか否かとは何ら関係なく、人は生まれ、老い、死に、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩む。釈迦は、現実にそれらの苦しみを止滅することを第一義の目的とした。この目的を見失うまいとするのが「無記」の立場である。ここには、心の病の医者としての釈迦がはっきり現れている。
2中道
 実践においては「中道」が説かれる。「中道」とは、単に二つの極端な立場の中間というのではなく、二つの極端から離れた自由な立場、矛盾対立を超えた立場を意味する。当時のインドには、苦しみから解放されるために、どのような実践方法をとるかについて、様々な立場があった。快楽主義に立つ思想もあったが、大方はどのように欲望を制御するかに関心があった。欲望が苦しみの原因と考えられたからである。欲望を制御する方法として、肉体の苦痛を耐えしのぶ苦行が盛んに行われた。釈迦も、悟りを得るまでの一時期、苦行を実践したが、後に苦行が無意味と悟り、瞑想すなわち禅定の方法を選んだ。釈迦は快楽主義でも苦行主義でもない「中道」を採ったのである。
 苦しみからの解放は、この苦しみの生存からの離脱、つまり輪廻から脱することであると考えられるようになる。ところで、何に生まれ変わるかを決定する原因が何であるかについては、釈迦の時代の社会での支配的な考えは前世における業によるというものだった。
3涅槃
 業と輪廻の考えによって、涅槃観も変化した。当初、涅槃は現世において到達されるものと考えられていた。だが、涅槃は輪廻からの解脱を意味し、たとえこの世で涅槃に達したとしても、なお前世の業の果報としての身体は消滅していないから、真の意味の「消滅」とはみなされず、死によって初めて実現されると考えられるようになり、涅槃は死と強く結びつくことになった。そして、原始仏教の末期には現世において得られる「心身の残余のある涅槃」(有余依涅槃)と煩悩も身体もまったく消滅した死後の「心身の残余のない涅槃」(無余依涅槃)の二種に分けられるようになった。
原始仏教が実践的な行為の指導を中心にしたマニュアルとして整備されていったことがよくわかるが、それが世界や人、社会や制度を知るのにどのような影響を与えるか今後注意して確認していきたい。特に、一般的な知識が人や社会の中でどのような知識に変形するかに関心がある。