釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は釈迦族のカピラ国の王子で、王として釈迦族国家を統治することが期待されていた。頭脳明晰な彼は人々の苦しむ姿を見て心をいためる多感な思春期を過ごす。武力による弱肉強食と政治の騙し合いの世界は彼には耐えられなかった。当時多くの自由思想家を輩出していたインドで、彼は哲学的な真理探究への憧れから出家修行の道を選ぶ。真理探究の修行を通して、悟りを開き、自己の精神的苦悩や葛藤を解決したいと望み、彼は妻子を捨てる。
「中阿含経羅摩経」(原始経典)にある釈迦の回想によれば、29才で出家した釈迦の目的は「無病、無老、無死、無憂寂、無穢汚なる無上安穏の涅槃を求める」ことにあった。釈迦の出家の理由は彼自身の心身の問題の解決である。大乗仏教が目指す「一切衆生を救うため」ではなく、「無病、無老、無死、無憂寂、無穢汚なる無上安穏の涅槃」を求める個人的な真理探究が彼の出家の理由。原始仏教には現世否定のペシミズムがつきまとう。大乗仏教では、苦しむ衆生を救うことが目的だが、釈迦の出家の目的がこの経典から彼自身の苦しみを解決するためだったことがわかる。また、釈迦が考える真理は単なる真理ではなく、「聖なる真理」と呼ばれ、彼の言葉「至信にして出家学道し身命の清浄を護り、口命意命の清浄を護れり。…無穢汚なる無上安穏の涅槃を希求…」の中の「清浄、無穢汚なる」といった言葉で表現されている。この聖なる真理を求めることは一生変わらず、これが後に仏教が宗教化される要因になったと思われる。
釈迦の6年にわたる求道の旅で最初に師事したのはアララ仙人とウッダカ仙人。それが原始仏教と禅との関係を予想させる。何故ならアララ仙人(アーラーラ・カーラーマ)もウッダカ仙人(ウッダカ・ラーマプッタ)もバラモン階級に属する正統派の思想家ではなく、禅定修行に専念する自由思想家だったからである。釈迦が最初に訪ねたアララ仙人は「無所有処(何物も所有することがないという境地)」に達し、その禅定(座禅)修行を指導していた。「中阿含経羅摩経」によれば、アララ仙人のもとで禅定修行した釈迦は間もなくアララ仙人の説く法を習得する。だが、アララ仙人の指導に満足できなかった釈迦は、次にウッダカ仙人を訪ねる。ウッダカ仙人は「非想非非想処(思いがあるでもなく、無いでもないという境地)」に達していた。ウッダカ仙人のもとで修行した釈迦は、すぐにウッダカ仙人の説く法も習得する。釈迦は出家後の最初の求道の旅でアララ仙人とウッダカ仙人の指導を受け、坐禅修行に集中。その修行の結果、アララ仙人の説く「無所有処定」とウッダカ仙人の説く「非想非非想処定」という禅定法をマスターした。しかし、これらに満足できず、彼は長い苦行に入ることになる。
釈迦は29才の時出家し、開悟するまで6年を要した。苦行の内容は比較的はっきりしている。山にこもって修行した目的は恐怖、欲望との戦いにあった。彼は激しい断食に挑戦する。1日にナツメの実1粒から始め、次は1日に米1粒、さらに1日にゴマ1粒と食事量を減らし、最後にはすべてを断つ。このような苦行によっても彼は悟りを得ることができなかった。また、彼は呼吸のコントロールにも挑んだ。これは「呼吸とは何か。息を止めたらどうなるか」を体験を通じて知りたかったからである。その頃のインドでは人間の呼吸、空気中の酸素の存在とその役割など、誰も知らなかった。インドでは肉体を苦しめ修行することは宗教的な力を蓄積すると信じられていた。特に、断食をすれば神秘的な力が獲得されると信じられていたため、釈迦は自らの命を賭して壮絶な実験を行った。
このような苦行に集中したため、何度も気を失い、死にかける。そして、釈迦はついにこのような苦行から何も得ることができないと気づく。そこで、彼は苦行を捨て、吉祥草を敷き菩提樹の下で座禅を始める。ある日、彼は深い禅定に入ったまま、夜を徹して坐禅を続けた。そのまま早朝に至り、ふと眼を上げて暁の明星を見て大悟し、ブッダ(覚者)としての自覚を得た。釈迦35才の時である。
釈迦の「初転法輪(最初の説法)」では梵天(ブラフマー神)が関わったと伝えられている。梵天は宇宙の創造神であり、ヴェーダ時代のインドの最高神。釈迦が最初に説法をしたのは開悟して実に5週間後。開悟の後、最初の一週間彼は菩提樹下で解脱の喜びと楽しみをかみしめながら座禅していた。第2週目にはアジャパーラ榕樹(バンヤン)の下に移り7日間を過ごした。第3週目にはムチャリンダ樹の下で7日間を過ごした。第4週目にはラージャヤータナ樹の下で7日間を過ごした。第5週目にはアジャパーラ榕樹の下に移った。この時「梵天勧請」という奇跡が起こる。梵天が出てきて、そのまま死のうとする釈迦に三度に渡って生きて説法をするよう懇願したのである。
釈迦は説法しても理解されないか、誤解されるだけと考え、人々に説法せずに、そのまま涅槃に入る(死ぬ)と決めていた。その時、宇宙の最高神である梵天が現れ、釈迦にこのまま説法しないと世界は闇になるから、どうか説法してほしいと懇願する。釈迦はこの梵天の熱心な懇願を三度も受けて説法を始める気になった、と言うのが梵天勧請説話。だが、「三明経」という原始経典では釈迦は梵天の存在と信仰をはっきり否定していて、その方がその後の釈迦の一貫した思想と矛盾しない。
では、釈迦は開悟後5週間の間菩提樹などの樹下で何をしていたのか。1カ月間は自分の悟りの内容を体系化し、それを分かりやすく説法する準備をしていたのではないか。なぜなら、初転法輪の説法の内容が極めて論理的で首尾一貫した思想として整備されているからである。「梵天勧請」説話を記した相応部経典には釈迦の悟りの本質と内容が分かりやすく述べられている。経典の中で釈迦は「世の人々は五つの感覚器官の対象を楽しみとし、それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている。それらを楽しみとし、それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている人々にとって、縁起の道理は理解しがたい。」と考える。続いて、「すべての存在の静まること、すべての執着を捨てること、渇欲をなくすこと、欲情を離れること、煩悩の消滅すること、それが即ち涅槃であるというこの道理も理解しがたい。」と述べる。
現代人にとって釈迦の主張はよく理解できるが、それを実行することは難しい。また、釈迦の言う「すべての存在の静まること」とは何か。釈迦が体験した涅槃とは何か。この経典には仏教の最終目的である「涅槃」が定義されている。
定義:すべての存在の静まること、すべての執着を捨てること、渇欲をなくすこと、欲情を離れること、煩悩の消滅すること、それが即ち涅槃である。
この「涅槃」の定義のなかで、「すべての存在の静まること」はどのような意味か。禅定の観点から「すべての存在の静まること」とは、深い禅定に入って雑念が消滅することを指していると考えられる。そのように考えれば、「坐禅の修行によって、すべての執着を捨て、渇欲をなくし、欲情を離れ、雑念や煩悩が消滅すること、それが即ち涅槃である」と言っていることになり、これが涅槃の定義となり、大乗経典とは随分と異なる。私たちもこれを涅槃、解脱、悟りなどとは呼ばないし、少なくとも私たちが共有する仏教の「信仰」とは異なるのではないか。