本所深川、鬼平、小津安二郎

 長谷川 宣以(はせがわのぶため)は幼名が銕三郎、家督相続後は平蔵(へいぞう)を通称とし、若い頃は「本所の銕」と呼ばれた火付盗賊改めの「鬼平」である。隅田川の東側の深川、亀戸などは江戸市中と区別され、本所村、中ノ郷村等は勘定奉行支配下に置かれていた。江戸が発展し、大橋、永代橋などが架けられ、この地域は江戸と一体化され、享保4年(1719年)、本所村は町奉行支配下に組み込まれた。だが、旧本所村だった深川、亀戸などは地名に「本所」を冠する習慣が残り、「本所深川」と呼ばれていた。

 門仲を歩くと「深川芸者」や故中村吉右衛門の「鬼の平蔵」が思い出されてならないのだが、その本所深川生まれのもう一人が小津安二郎。近くにある古石場(ふるいしば)文化センターに「小津安二郎コーナー」がある。小津は世界的な映画監督として有名だが、深川生まれで、確か映画「東京物語」の長男は江東区の開業医だった。となると、笠智衆東山千栄子原節子などの顔も浮かんでくる。

 古石場親水公園に架かる小津橋(画像)は、肥料問屋を営んでいた小津家が荷物運搬用に架けた橋で、小津はその分家の生まれである。