故郷の映画舞台:赤倉と高田

 赤倉温泉観光協会の今日のFacdebook「赤倉温泉が舞台になった小津安二郎の映画」を読んで、以前記した「本所深川、鬼平、そして、小津安二郎」を思い出しました。その一部を再録しながら、妙高地域と小津映画の繋がりを補足してみましょう。

 長谷川 宣以(はせがわのぶため)は幼名が銕三郎(てつさぶろう)、家督相続後は平蔵(へいぞう)を通称とし、若い頃は「本所の銕」と呼ばれた火付盗賊改めの「鬼平」です。隅田川の東側の深川、亀戸などは江戸市中と区別され、本所村、中ノ郷村等は勘定奉行支配下に置かれていました。江戸が発展し、大橋、永代橋などが架けられ、この地域は江戸と一体化され、享保4年(1719年)、本所村は町奉行支配下に組み込まれました。でも、旧本所村だった深川、亀戸などは地名に「本所」を冠する習慣が残り、「本所深川」と呼ばれていました。

 門前仲町を歩くと「深川芸者」や故中村吉右衛門の「鬼の平蔵」が思い出されてならないのですが、その本所深川生まれの一人が小津安二郎。彼の特徴である日本的なローアングルの映像は今のドローンによる俯瞰的な映像とはまるで違います。小津は世界的な映画監督として有名ですが、深川生まれです。そのため、古石場(ふるいしば)文化センターには「小津安二郎コーナー」があります。古石場親水公園に架かる小津橋(画像)は、肥料問屋を営んでいた小津家が荷物運搬用に架けた橋で、小津はその分家の生まれです。

 投稿の『学生ロマンス 若き日』は1929(昭和4)年公開。現存する小津作品の中では最も古い作品です。スキー旅行に出かける学生風俗をテーマにしたコメディ映画。大学生の渡辺と山本はともに千恵子に気があります。期末試験が終わり春休みに入ると、二人は大学のスキー部と一緒に赤倉に出かけますが、そこで思いがけず千恵子と出会うのです。彼らは張り合いますが、彼女がスキー部主将の畑本とのお見合いのために来たことを知ってがっかりします。憧れの女性をめぐって張り合う大学生たちのスキー旅行を描いた学生喜劇。アメリカ映画の影響が濃く、26歳で8作目として監督した初の長篇で、現存する最初期の小津作品です。

 『浮草物語』は1934年の松竹蒲田作品。小津は34年のこの作品まで完全なサイレントに固執しました。東京の下町や学生街や郊外を好んで舞台にした小津が、例外的に物語を地方(上州高崎近辺の村)に設定し、喜八こと市川左半次を座長とする旅役者一座の巡業生活を描いています。1957年に『浮草物語』を作り直した『大根役者』の脚本を書き上げ、1958年1月新潟県佐渡島と高田市(現在の上越市)でロケーション・ハンティングも敢行したのですが、ロケ先が雪不足のため撮影延期となりました。1959年、『浮草』の題で再映画化されましが、舞台は夏の紀州に移され、光にあふれた強烈な色彩に溢れた作品になっています。