深川と怪談(1)

 怪談はイギリス人がすこぶる好きだと聞くが、江戸の人たちも怪談好きが多く、結構な人気を博していた。小泉八雲の『怪談』よりもっとずっと派手で、しかも人間的なのが江戸の歌舞伎や落語の怪談物。そんな怪談に縁もゆかりもあるのが深川牡丹にある神社で、於三稲荷神社と黒船稲荷神社。我が家からは少々距離があるが、二社ともとてもこじんまりした、猫の額のような箱庭にある神社で、いかにも下町の神社なのである。さて、この二つの神社がどのような怪談に関わっているのか、述べてみたいと思う。立派な建物でも広い境内でもないが、共に掃除が行き届き、清潔である。しかも、於三稲荷は個人宅の庭に居候し、水琴窟まである。

(1)人は不幸が大好き

 戯作者でない私の怪談話など面白くないのだが、「なんで人は怪談などに固唾を飲んで関心をよせ、拍手喝采するのか」という問いに対する私なりの答えを読んでもらえれば、私の心持も察してもらえるのではないかと思っている。

 人は不幸を愛でるという常識に反することが嫌いではない。これは天邪鬼で言っているのではなく、正真正銘正しいと私は確信している。悲嘆や苦痛が大好きで、幸福や快楽が大嫌いという人も少なくない。だから、人は演劇、映画、小説を乞い求める。当然、恐怖や残忍も好きで、暴行、傷害、殺人にも好奇心を強くもち、その結果、それらが溢れる物語に惹き込まれてきたのである。

 お化けも幽霊も、悪魔も鬼も大好きで、それらが登場しないことには心躍るスリリングな話の展開はできず、欲求不満が募るだけというのが享受の精神に満ち溢れる私たちの心持というもの。私たちは物欲だけでなく心欲をもち、しかもその欲は悪を求めるという厄介な本性をもっている。

 また、この世を知るにはあの世を知らなければならない。この世の出来事の意味を真に理解するにはあの世の出来事の意味を知らなければならない、ということになる。こんな辛気臭い理由で怪談の意義を語るのは野暮というものだが、この世を面白おかしく経験するにはあの世の味付けが必要だというあたりで合点ということになるのではないか。

 こんな怪談との付き合いが江戸の怪談であり、それとはまるで違うのがゴシック・ロマンで描かれる西洋の怪談。怪談が形而上学をもつなど愚の骨頂というもので、人情沙汰のグロテスクな濃淡の強調が怪談だというのが江戸の怪談。ところが、西洋の怪談となると、ギリシャ神話に通じる禁断の形而上学的構図を背景にした怪奇な物語で、正に闇の形而上学的な世界観を秘めている。たかがお化けや妖怪なのに、何とも大仰なことである。

 こんな比較はそれとして、私はラブクラフト形而上学的世界に心惹かれるだけでなく、鶴屋南北の歌舞伎や円朝の怪談噺にも心躍る。人は不幸が好きなだけでなく、色々な不幸のどれも好きなのだとつくづく思う。兎に角、人は悪や不幸に貪欲である。

(2)阿三の森

 怪談噺となれば、円朝だが、『怪談阿三(おさん)の森』は次のようなストーリーである。深川牡丹町の近くに「阿三の森」があった。本所の旗本松岡家に奉公に出ていた漁師の善兵衛の娘で、十八になるのが「おかの」という美女。殿様のお手がついて身籠り、蛤町の実家に帰され、月満ちて女の子を出産、「阿三」と名付けた。だが、間の悪いことに母親も殿様も亡くなり、阿三は祖父に預けられた。祖父は漁師を止め、亀戸の天神橋の傍で団子屋を始めた。梅見団子を売り出して繁盛し、阿三は十七の時には母親の器量を写して団子屋の看板娘となっていた。

 藪井竹庵は本所割り下水に住む阿部新十郎という跡取り息子を団子屋に連れてきた。この息子、離れで阿三に会ったときに一目惚れしてしまった。同じように娘もブルブルっと感じて一目惚れしてしまった。直に、逢瀬を重ね、将来を約束する仲になっていた。

 新十郎は松岡家から阿部家に養子に入っていた。本家の実母の様態が悪いというので、見舞いに行き、そこで母親から意外な事実を聞かされた。「父親が奉公人の娘に手を出し子供を作ったが、里に帰し、今では十七になる娘に成長しているはず。聞くところによればそれが阿三だという。お前の実の妹なので陰ながら面倒を見て欲しい」と言うのだ。

 新十郎は実の妹と犬畜生と同じ関係になった事を悩んでいた。今後は逢わない事を心に誓った。だが、それを知らない阿三は彼が来ないのを気にかけ、遂に亡くなってしまう。ここまでが噺の前半。兄と妹が愛し合うという話なのだが、怪談の気配はまだない。

 新十郎は閑静な向島に住まいを移していた。お盆の夜、寝られないでいると、庭先を「カラン、コロン」と下駄の音を鳴らしながら女性が通る。間もなく戻ってきて、窓下で止まった。「御前様」と声が聞こえたので、覗くと朝顔の花柄の浴衣を着た阿三。互いに抱き合って喜び、部屋に通し、お互い生きていたことを幸せにおもい、将来を改めて誓い合った。夜ごと女が訪ねてくるので、婆やが不審に思い覗いてみると、煙のようなものと話しているのを目撃し、主人に報告。菩提寺法恩寺の住職に訳を話し、新十郎に言い聞かせ、窓にお札を張ってもらった。その夜から阿三が現れることはなくなり、新十郎も元気を取り戻し、本所割り下水の屋敷に戻った。

 一月に麻布の娘と仲人がたって祝言を上げた。その席で、二人の間に蛇が現れ恨めしそうにのぞき込んだ。新十郎はキセルで蛇を殺したが、毎晩現れた。それを住職に相談すると、阿三が蛇に化身して出てくるので、出てきたら私の衣に包んで、その上から縄で結んでおくように言われ、そのようにすると難なく捕まえる事が出来た。住職は東の小高い「スズメの森」に埋めて、その上に祠を建てた。その難を仏力で封じ込め、「阿三の森」と言われるようになった。一年後妻が亡くなり、新十郎は今後妻を娶らないと、この稲荷の側に庵を建てて菩提を弔った。 

 前半は二人の恋物語、後半が怪談で、怪談の下駄の音や夜ごと訪ね来る阿三、封じ込め方は円朝の『怪談牡丹燈籠』にそっくりである。

阿三稲荷神社

黒船稲荷神社