コブシの袋果の姿から

 コブシは春にモクレンに似た白い、美しい花を咲かせますが、その花が終わると、見向きもされずに忘れ去られてしまうようで、その後につける実の方はあまり知られていません。それは袋果(たいか)と呼ばれ、袋の中に入っている実が握りこぶしのように見えることからコブシの名がついたようです。

 初夏の袋果は緑色ですが、次第に色がつき出し、やがて赤みを帯びてきます。画像のように、今年も既に色づき始めています。秋にコブシの実が熟し、集合果の袋状の皮が破れ、熟した実が顔を出します。コブシの集合果は弾けると、中から大きめの赤い種子が糸を引いて出てきます。コブシは種子を包む袋が垂れ下がって、ピンク色になるので、特によく目立ちます。

 コブシの集合果はどれも異様な形状で、大きさも様々、袋果が結合し、所々に瘤が隆起しています。私たちが食べる果実は色や形が整っていますが、コブシの集合果はそれとは正反対の形です。コブシの集合果はその異様な形状で私の好奇心を掻き立てるのです。

 コブシの集合果の異形の形態はプロテウス症候群を彷彿させます。1980年製作の「エレファント・マン(The Elephant Man)」の舞台は19世紀のロンドン。生まれつきの醜悪な外見のため「エレファント・マン」として見世物小屋に出ていたジョン・メリックの肥大した頭蓋骨は額から突き出て、腫瘍が身体中にありました。彼に興味をもった外科医フレデリック・トリーブスは彼を引き取り、彼の様子を観察しました。すると、トリーブスはジョンが聖書を熱心に読み、芸術を愛していることに気づきます。コブシの集合果と「エレファント・マン」との間には何の関係もないのですが、集合果の異形が私の個人的な連想を引き起こしたのです。

 肝心のコブシの集合果に話を戻しましょう。コブシの集合果が動物たちを集めるための適応かどうかはよくわかっていません。果実が動物を使った繁殖方法の一つであることはよく知られていますが、コブシについての実証研究は意外に少なく、大抵は推測の域を出ていません。コブシの果実は美味しくなく、美形でもありません。中の種子も動物の関心を引くものをもっていません。それに対して、リンゴの実は動物だけではなく、私たち人間の関心を強く引くものです。一方、中立的な位置にいるのがボケの果実です。まだ青い果実は有毒ですが、色づくと香りがあり、リンゴ酸やクエン酸など様々な栄養素が含まれ、生で食べることは難しいですが、ボケ酒やジャムに加工することで利用されてきました。自然の中での私たちの勝手で、自己中心的な態度はコブシ、リンゴ、ボケの実を通じて見事に表現されています。

 生活世界での異形の基準そのものといえば、私たちの予測不能な仕方で目まぐるしく変わってきました。生物の形態、行動等について、「正常、異常」などは人間的な基準に過ぎないことを考えれば、異形も一時的、地域的な暫定基準に過ぎないことは明らかです。

 早春のコブシの花の大きさ、花色の白さは春の喜びを見事に表現しています。でも、その後のコブシの実の形状もとても印象的で、一つとして同じ形のものはありません。花と違って実は千差万別の形の妙を見せてくれます。その形状を美しいという人は少ないでしょうが、枯れ姿、老身だけでないものを感じる人もやはりいるのではないでしょうか。それは砂浜に打ち寄せられた枯れ木の姿に似ているのかも知れません。コブシの木をつぶさに眺めるなら、花や実だけでなく、幹、枝、葉も目に入ってきます。私たちが植物を見る仕方はとてもせっかちで一面的です。一つの植物を公平に、客観的に見ることはほぼなく、特定の部分ばかりを偏見に基づいて見ています。その不公平な見方の際たる基準が「美醜」です。そして、美ばかりが注目され、醜は無視されることになります。ですから、時には美醜の基準を忘れて、コブシの姿を見ると、そこに新しい自然の姿を発見できる筈です。