ザクロの記憶

 既にザクロ(石榴)の花について色々記しました。8月が近づき、ザクロの実が大きくなり始め、色づき始めています。子供の頃、近所にザクロの木があって、不規則に裂けた実と種の多さ、そして酸っぱく、プチプチとした食感が今でも強く記憶に残っています。   

 ザクロは西南アジア原産で、日本へは10~11世紀頃に渡来。種が多いことから、アジアでは昔から子孫繁栄、豊穣のシンボルでした。唯一の女性を「紅一点」と言いますが、これは王安石がザクロの林の中に咲く花を詠んだ詩の中の言葉。子供の私にはザクロやブドウはシルクロードで運ばれてきたエキゾティックな果物でした。ザクロの原産地ペルシャは現在のイラン、アフガニスタン辺り。ザクロはペルシャから地中海沿岸を通り、ヨーロッパへ、そして、 東はシルクロードを経て中国、日本へと渡ってきました。

 ペルシャシルクロードも今ではすっかり変貌し、エキゾティックな地域ではなくなってしまいましたが、どこかにその記憶が残るためか、ザクロは公園や庭の木として依然として人気があり、湾岸地域でもあちこちに植えられています。