まずは私が2017年3月15日に記した「晴海、豊洲の歴史モザイク」を以下に(一部修正して)再録したい。私が湾岸地域に移る以前に既に晴海や豊洲は大変貌を遂げていたのだが、私が経験したのはその変貌後の(東京オリンピックによる)小変化と呼べないこともない。以下は2017年の記事である。
新市場のある豊洲から晴海大橋を歩いて渡ると、それは結構な登りなのだが、左手に晴海埠頭が見えてくる。中央区の晴海は再開発が進み、タワーマンションや高層のオフィスビルが立ち並ぶ。さらに、中央清掃工場とその煙突は威風堂々といったところで、その左手にはつい最近まで東京国際見本市会場跡地が無残に広がっていた。ところが、今ではクレーンが林立し、東京オリンピック・パラリンピックの選手村の建設が始まっている(現在はそれがマンション群に変わっている)。
さて、眼を転じると、埠頭寄りの風景はガラリと異なり、鈴江コーポレーションの窓がことごとく閉じられた倉庫と晴海埠頭4号上屋(いずれも閉鎖)が廃墟の如くに並んでいる(現在はすっかり取り壊されている)。倉庫脇には東京港湾局専用線の貨物専用の線路が埋まっていて、戦後の復興を支えた晴海埠頭の面影が偲ばれる。この辺は戦後の代表的な風景として、高層ビル群に張り合っている感がないことはないのだが、それにしても寂しい風景であるのは疑うべくもなく、兵どもの夢の跡なのである。


それにしても、豊洲大橋が開通し、選手村ができた時にこの取り残された昭和の風景は一体どうなっているのだろうか。残しておきたい戦後と21世紀の風景をつくりたい気持ち、いずれを私たちは優先するのだろうか。強欲な私は両方ほしいと思うのだが…、その一方で、歴史は風景をモザイクのように分断したままで、その情け容赦ない力の前で翻弄される人々の蠢きが肌に突き刺さってくる(現在はその昭和風景はほぼなくなってしまった)。
*(上の画像に見える)上屋(うわや)は船と倉庫との間の荷さばきの中継作業を行う施設。埠頭で船舶が接岸係留する場所に近いところに設けられ,荷さばきのほかに乗降船客の待合室にも利用される。
さて、この晴海大橋の反対側、つまり右側に眼を転じると、そこは豊洲。春海橋の横に架かる晴海橋梁が眼に飛び込んでくる。これは旧晴海線の鉄橋で、周りの風景の中で取り残され、利用されずに「そこにある」だけの遺構である。これをつくったIHIはすぐ横に見事な本社ビルを構えるが、この橋梁は歴史的な建築物かと問われると困ってしまう。

取り残されたままの晴海埠頭4号上屋や晴海橋梁が気になり、湾岸の鉄道輸送を調べてみる。歴史は1923年(大正12年)の関東大震災まで遡る。地震で陸上の交通網が壊滅。これをきっかけに東京港の本格的な整備が開始され、まず芝浦に日の出埠頭ができ、芝浦埠頭、竹芝埠頭と順次整備が進む。日の出埠頭への貨物輸送のために、「芝浦臨港線」が1930年(昭和5年)完成。今の「ゆりかもめ」は1962年以降の臨港線経路にほぼ沿っている。
豊洲・晴海地区だけ見てみよう。第二次世界大戦後、芝浦側の埠頭が進駐軍によりほぼ接収されたため、豊洲埠頭の工事が1949年から再開され、1950年石炭埠頭が供用開始された。これに合わせて、1953年に越中島駅から豊洲石炭埠頭まで延長2,590mの深川線が開業した。豊洲地区への臨港鉄道が伸びると、そこから分岐した専用線も増えていく。1955年には、深川線から分岐して豊洲物揚場線(とよすものあげばせん)の最初の区間が開通し、その後順次延長工事が行われた。豊洲地区では、今話題の東京ガスも専用線を分岐している。東京ガスのガス工場(この跡地が今の豊洲新市場)は、石炭を処理して都市ガスを生産し、副産物のコークスを出荷するという枠組みで稼動していた。このコークスの出荷は、1971年には越中島駅の貨物取扱量の1/3を占めていた。東京港の臨港鉄道は1965年頃には線路総延長24 kmまでに成長し、輸送量のピークを迎えた。だが、トラック輸送への転換が進み、輸送量は減少。深川線の輸送量の大きな部分を占めていた東京ガスの輸送も1977年に専用線が廃止となった。廃止となった路線跡は多くが再開発されたが、晴海運河に架かる晴海線の晴海橋梁は最大の遺構で、現在もそのまま残されている(今は補修が終わっているが、後述参照)。
晴海埠頭4号上屋と晴海橋梁は今のところ風雨にさらされたままだが、そのまま取り壊すのは何とも芸がなく、悔いが残るだけの愚策(上屋は壊され、橋梁は補修された)。
ここまでが2017年に私が記したもの。現在の春海橋公園では東京都専用線の晴海線の一部として使用されていた旧晴海鉄道橋(上記の晴海橋梁のこと)を見渡すことができる。東京都専用線の名残として残る旧晴海鉄道橋は豊洲と晴海を結び、晴海線が開通した1957年から廃止となった1989年まで使用されていた。鉄道橋として日本で初めてローゼ橋及び連続PC桁を採用した。この橋は春海橋公園の一部として遊歩道に生まれ変わり、2025年9月から供用が開始された。歩道部に当時の鉄道レールを活用し、アーチ部は建設当初のライトグリーンに塗装されている。夜間は橋全体がライトアップされる。
