俳句と文脈

 Facebookの友人が「おくのほそ道」の矢立初めの句を引用していましたが、その句はいつも私に清洲橋と萬年橋(北斎も広重も描いている)を連想させるのです。この連想には何の根拠もないのですが、清洲橋の優美な姿をみるには萬年橋から芭蕉記念館に向かう辺りが最適だと思い浮かべてしまうのです(「ケルンの眺め」)。これは全くの個人的、私的な感想だと私自身はよくわかっています。

 芭蕉は江戸深川の採茶庵(さいとあん)に住んでいましたが、1689(元禄2)年5月16日にそこを出発し、船に乗って千住に渡り、日光街道草加、日光へ道を取り、芭蕉曾良の「おくのほそ道」が始まります。千住大橋付近で船を下り、そこで詠んだのが、私に私的連想を引き起こす「行く春や 鳥啼なき魚の 目は泪」。

 春が過ぎ去ろうとしているところに、旅立つ別れを惜しんでいたら、鳥たちは悲しそうに鳴き、水中の魚も涙をためていて、より悲しみが沸き上がってくる、と旅立ちの緊張と不安を表現しています、というのが普通の注釈です。でも、「おくのほそ道」の叙述がなければ、このような注釈はできません。この句だけ取り出すなら、春を惜しんでいるだけかもしれないのです。この句の詠まれた文脈は「おくのほそ道」の文章によって与えられているので、それに頼ってこの句を正しく解釈できるのです。この句を「おくのほそ道」から取り出し、文脈から独立させると、私の奇妙な連想もまんざら奇妙な解釈ではなくなるのです。

 ついで、日光での句は「あらたふと 青葉若葉の 日の光」です。日光に着くと、なんとまあ、尊くありがいことか、日光の霊山の木々の青葉や若葉に降り注ぐ日の光は、と日光の尊さに感激しています。この句についても同じような文脈からの独立化を行うなら、日光ではない他の神社や仏閣、あるいは任意の場所で構わないことになります。とはいえ、最初の句に比べれば、この句は詠まれている内容はより特定し易く、文脈への依存度はより低いように思われます。

 こうして、「おくのほそ道」の最初の二句だけからも、俳句が文脈に依存して注釈される宿命をもつ文学であることが示唆されています。これは短い形式ゆえに起こることで、文脈の補助がないとしばしば何が詠まれているのか曖昧になるのです。とはいえ、この曖昧さ、単純さが俳句の特徴になっているのも確かなことです。いずれの評価であれ、これは短詩のもつ情報の少なさに起因するのですが、私には俳句が第二芸術論として議論された事柄につながっているように思えてなりません。

 ともあれ、象徴的であり、曖昧であり、あるいは、そのいずれでもあるのが俳句(や短歌)のような短詩の持つ宿命であるのは確かなようです。

*詩と文脈の両方を総合し、情報を物語化して表現したのが小説です。