芭蕉の蝉の声

 空蝉(抜け殻)は儚さの象徴ですが、蝉といえば、芭蕉の句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」が浮かんできます。この句は山形の立石寺(山寺)で、1689(元禄2)年に詠まれました。斎藤茂吉がこの句の蝉はアブラゼミだと言い出し、小宮豊隆がそれに反論し、ニイニイゼミの方が「岩にしみ入る」にふさわしいと主張し、現地調査の結果、ニイニイゼミということになったようです。

 それはともかく、茂吉は芭蕉の句の眼目を「群蝉(ぐんせん)の鳴くなかの静寂」と述べています。彼は芭蕉が騒がしい中で「佳景寂寞(じゃくまく)として心すみ行くのみ覚ゆ」(『奥の細道』)という境地に至ったと捉えたのです。普通に考えれば、蝉が鳴いていれば、ひどくうるさいはずですが、なぜ芭蕉が静かだと思ったのか疑問に思うのが当然ですし、そんな疑問を持てば、この句の説得力など危うくなってしまいます。でも、誰もが知る俳句として人々に親しまれてきました。その理由は一体何なのでしょうか。

 『奥の細道』には、この俳句が詠われる背景が記されています。芭蕉たちが山形まで来た時、立石寺という山寺があることを聞き、日が暮れる前に山上にあるお堂まで登ることになりました。芭蕉は「岩に巌(いわほ)を重(かさ)ねて山とし、松柏(しょうはく)年旧(としふ)り、土石老(お)いて苔(こけ)滑(なめ)らかに、岩上(がんじょう)の院々扉を閉ぢて物の音聞こえず。岸をめぐり、岩をはひて、仏閣を拝し、佳景(かけい)寂寞(じゃくばく)として心澄みゆくのみ覚ゆ。」と述べ、その後にあの句が書かれています。

閑かさや岩にしみ入る蝉の声

(岩が重なり、樹齢を重ねた松や柏が生い茂り、石は苔むしている山の上の立石寺がある。芭蕉が登っていった時には、僧院の扉も閉まり、静まりかえっていた。そうした中で、山寺に参拝し、辺りを見渡すと、ひっそりとしていて物寂しい様子をしている。その素晴らしい風景を目にして、心が澄みきってくるのを感じる。)

*私の悪戯で、芭蕉の句の順番を変えてみると、「蝉の声岩にしみ入り閑かなり」となり、何とも凡庸な句になってしまいます。

 『奥の細道』の記述では、蝉の鳴き声には一切触れられず、物音は聞こえず、辺り一帯は「寂寞」としています。たとえ現実には蝉の鳴き声が聞こえていたとしても、芭蕉の意識はその音を捉えていなかったことになります。彼に聞こえたのは「静寂」の音でした。「寂寞」とした音は風景だけに由来するのではなく、芭蕉の心持ちにも由来しています。目に見える景色と見る人の心が溶け合い、「静かさ」ではなく、「閑さ」になっています。「閑さ」は唯静かなのとは違い、門を閉じた時の閑さで、ひっそりと物寂しいのです。そして、その「閑さ」は切れ字「や」によって、句の以降の部分と切り離されています。そして、「シずかさ」が「シみいる」と「シ」が連続することによって、私たちは何かを考える前に、まず静寂を感じるのです。芭蕉はこうした音の効果を巧みに利用し、蝉の騒々しい鳴き声を巧みに用いて、句の中で「閑さ」を表現したのです。

 意識を現実に戻せば、外の世界では蝉が耳をつんざくような勢いで鳴いています。その声は岩にぶつかり、反響します。実際、芭蕉は最初、「山寺や石にしみつく蝉の声」と詠みました。この句は、現実の風景をそのまま写しています。しかし、芭蕉の心の世界では、蝉の声さえも岩にしみ入り、寂寞の中へと溶け込んでいます。そして、自然と芭蕉の心が一つになった心象風景が見事に表現された句が生まれたのです。