不易流行

 「不易流行」は芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した思想。「不易(不変の真理)を知らざれば、基立ちがたく、流行(変化)を知らざれば、風新たならず」、しかも「その本は一つなり」、すなわち「両者の根本は一つ」であると芭蕉は主張します。「不易」は変わらないこと、変えてはいけないもので、逆に「流行」は変わるもの、変える必要があるものを指しています。

 「不易流行」は俳諧について説かれた考えですが、他の事柄にも適用されてきました。不易と流行の基は一つ、不易が流行を、流行が不易を動かす、と言われれば、哲学好きは弁証法的変化を思い起こす筈です。「万物流転」、「諸行無常」、「逝く者はかくの如きか、昼夜を舎かず」、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」などは、「流行」が世界の真理であるという立場。一方、パルメニデスの不変の哲学、4次元主義、対称性の原理等は「不易」が世界の真理という立場。この二つの立場は相容れない立場であると考えるのが合理主義、二つの立場は補完し合い、その基は一つと考えるのが弁証法主義とすれば、芭蕉の考えは後者となります。

 そのような議論は横に置き、俳句のルールそのものに即して言えば、5-7-5の文字数、季語の有無、外国語の俳句に関する不易と流行が問題となるでしょう。さらに、俳句の認識論的な不易と流行、解釈に関する不易と流行等々、様々な不易と流行が考えられます。俳句の形式から内容へ、さらには俳句以外の事柄へと考察の対象を拡大していくと、ついには妙高市の不易と流行、つまり市の持続させていくべき伝統と、市への新しいものの導入が想像できますし、最後は私自身の不易流行が問題になってきます。

 このような説明は言葉遊びのように思われ、言葉遣いだけが独り歩きしているだけで胡散臭いこと極まりないのですが、それでも「不易流行」(あるいは、持続可能性と変化)は大変気になるのです…