「不易流行」

 「不易流行」は松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に感得した思想で、「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」、つまり「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」、すなわち「両者の根本は一つ」という主張です。「不易」は変わらないこと、変えてはいけないもので、「不変の真理」を意味しています。それとは逆に、「流行」は変わるもの、変えていかなければならないものです。

 「不易流行」は俳諧について説かれた主張ですが、学問や文化、そして、人間形成にも適用されてきました。しかも、不易と流行の基は一つで、不易が流行を、流行が不易を動かす、と言われると、多くの人は不易と流行の間の弁証法的な変化を連想するのではないでしょうか。そこで、文学と哲学や思想を関連付けてみましょう。

 「万物流転」(ヘラクレイトス)、「諸行無常、色即是空」(仏教)、「逝く者はかくの如きか、昼夜を舎かず」(孔子)、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明)等々は、「流行」が世界の中心原理であるという立場。一方、パルメニデスの不変の哲学、物理学での4次元主義、対称性の原理など、数学的な自然世界の解釈は「不易」が世界の真理であるという立場。二つの立場は相容れない立場であると考えるのが合理主義であるとすれば、二つの立場は補完し合い、その基は一つと考えるのが、例えば、ヘーゲル弁証法主義で、何れを採用すべきなのかはかつて白熱の議論がなされてきました。前者は数理科学の思想、後者は文学や歴史の思想と、二つに仕分けできるのかも知れませんが、これは受験勉強のための無理やりの分類に思えてなりません。

 明治時代に正岡子規は江戸時代以来の俳句を月並み句と批判し、俳句の革新を成し遂げました。子規は俳句の歴史をたどり、俳句分類の作業を丹念に行ない、歴史に埋もれていた与謝蕪村の句に出会って、その主観的な描写表現に魅了され、写生による現実密着型の俳句を確立しました。

 では、子規は俳句の不変の本質を学び、新しい俳句を目指すという、不易流行を体現した人だった、と考えることができるでしょうか。そして、現象の彼岸に本質がある、可変の現象を通じて不変の真理を体得する、というのが「不易流行」の意味するところであると結論できるのでしょうか。芭蕉も子規も私たちに多くの傑作を残しました。その文学的価値は彼らの思想からは独立したものですが、彼らの思想には自然の不易な性格も弁証法的なダイナミックな性格も混然と共存していて、思想家の味気ない説明に比べると、生きた思想が見事に表出しているのです。