芭蕉と一茶の世界

 「不易流行」は松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅の間に体得した思想である。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」、つまり「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」、すなわち「両者の根本は一つ」であると主張する芭蕉は極めて哲学的である。「不易」は変わらないこと、変えてはいけないものであり、「不変の真理」を意味している。逆に、「流行」は変わるもの、変えていかなければならないものである。不易と流行の基は一つ、不易が流行を、流行が不易を動かす、と言われれば、「色即是空」、「空即是色」が連想され、さらには生物進化さえも彷彿させ、理性的な蕉風が浮かび上がる。

 深川の芭蕉の生きた時代は江戸中期の元禄時代。一方、北信濃柏原の一茶の生きた時代は江戸後期の化政時代。そして、二人の描く世界は見事なまでに違っていて、絵画なら新古典主義表現主義の違いとも言えるのではないか。当時の芭蕉擬きの俳句の世界に生きてきたことを「月花や四十九年のむだ歩き」と一茶は詠む。一茶は俳句が言葉遊びの世界であってはならず、日常生活で誰もが経験する喜怒哀楽を詠まねばならないと主張する。

 普遍的で不変の自然や世界の構図を計算し、それを叙事的、劇的に描くのが芭蕉で、「荒海や 佐渡に横たふ 天の河」、「あらたふと 青葉若葉の 日の光」はそのような芭蕉の意図が見事に表現され、感覚の世界ではなく、認識の世界が詠われている。一方、一茶はどうだろうか。刹那的で脆く、変わりやすい心情を時に優しく、時に皮肉を込めて揶揄するのが一茶。悲しさ、くやしさ、もどかしさが綯い交ぜになった表現は理屈抜きに私たちの心に突き刺さる。「ひとりなは 我星ならん 天の川」では、天の川の傍にひとりでいる星が自分の星、自分の姿だと詠ってみせる。芭蕉とは大違いで、「これがまあ ついの栖か 雪五尺」と自らの運命を嘆いてみせ、「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな」と喜んでみせるのもまるで平気なのが一茶。ロマン主義風のクラシック音楽芭蕉とすれば、一茶は北原白秋風の童謡であり、演歌でさえある。そして、芭蕉と一茶の間には一茶の少し先輩越後の良寛がいて、一茶と生活世界を共有しながら、芭蕉と一茶の間で遊んでいる。