芭蕉の風景

閑さや岩にしみ入る蝉の声

 『おくのほそ道』には、この俳句が詠われる背景が記されています。芭蕉たちが山形まで来た時、立石寺のことを聞き、日が暮れる前に山上の寺まで参ることになりました。芭蕉は「岩が重なり、樹齢を重ねた松や柏が生い茂り、石は苔むしている山の上の立石寺がある。芭蕉が登っていった時には、僧院の扉も閉まり、静まりかえっていた。そうした中で、山寺に参拝し、辺りを見渡すと、ひっそりとしていて物寂しい様子をしている。その素晴らしい風景を目にして、心が澄みきってくるのを感じる。」と述べています。

 『おくのほそ道』の記述では、蝉の鳴き声には一切触れられず、物音は聞こえず、辺り一帯は「寂寞」としています。たとえ現実には蝉の鳴き声が聞こえていたとしても、芭蕉の意識はその音を捉えていなかったことになります。彼に聞こえたのは「静寂」の音でした。「寂寞」とした音は風景だけに由来するのではなく、芭蕉の心持ちにも由来しています。目に見える景色と見る人の心が溶け合い、「静かさ」ではなく、「閑さ」になっています。「閑さ」は唯静かなのとは違い、門を閉じた時の閑さで、ひっそりと物寂しいのです。そして、その「閑さ」は切れ字「や」によって、句の以降の部分と切り離されています。そして、「シずかさ」が「シみいる」と「シ」が連続することによって、私たちは何かを考える前に、まず静寂を感じるのです。芭蕉はこうした音の効果を巧みに利用し、蝉の騒々しい鳴き声を巧みに用いて、句の中で「閑さ」を表現したのです。

 意識を現実に戻せば、外の世界では蝉が耳をつんざくような勢いで鳴いています。その声は岩にぶつかり、反響します。実際、芭蕉は最初、「山寺や石にしみつく蝉の声」と詠みました。この句は、現実の風景をそのまま写しています。しかし、芭蕉の心の世界では、蝉の声さえも岩にしみ入り、寂寞の中へと溶け込んでいます。そして、自然と芭蕉の心が一つになった心象風景が見事に表現された句が生まれたのです。

 

荒海や佐渡によこたふ天の河

 夜の日本海佐渡島とその前の荒波。その二つからなる風景を見下ろすかのように天の川が横たわっています。何とも大きなスケールの描写をもつこの句は、やはり『おくのほそ道』の名句の一つです。でも、これが写実的な風景描写かと問われると、疑問が湧き出てきます。この句は7月4日(新暦の8月18日)に詠まれたのですが、同行の曾良の日記によれば、出雲崎に着いたのは午後4時頃で、その夜中には強い雨が降っていて、夕方以降は天気が悪く、天の川が見えたがどうかあやしく、定かではありません。また、この頃に天の川が最も輝くのは南の空から天頂にかけてであり、それは佐渡島とは反対の方角なのです。

 流刑地佐渡島を見続けての旅と、七夕の伝承が芭蕉の心の中で重なり、それが出雲崎で結実し、荒海、佐渡島、天の川が組み合わされ、彼の心象風景の中でこの句が生まれたと思われるのです。

 

 このように二つの句を私流に考えてみると、とても不思議で、独特の芭蕉の心象世界が浮かび上がってきます。「音のない世界の蝉の声」、「荒海の中の佐渡島と天の川」は「遠い、近い」の遠近法の絵画や映像の世界を越え、「音、沈黙」の両立する世界が描き出されています。セザンヌの風景画の中のものの遠近、等伯の白黒の樹木と空白などを優に超えて、岩にしみ入り、無音になる蝉の声、風景の中の荒海、佐渡島、天の川の組み合わせは芭蕉自身の心象風景であり、彼はそれを描写した句を詠んでいるのです。「自然を超えて自然を写生した」というのは何とも矛盾した表現ですが、私にはそのように思えてなりません。