神話から昔話への素描:奴奈川姫

 私のような民俗学の素人が生まれ育ったのが小出雲(現妙高市)で、子供の頃は奇妙な名前だと思ったことさえありませんでした。小出雲の隣に姫川原、美守(ひだのもり-妙高市、ひだもり-上越市)があり、これらの地名に対する疑問もありませんでした。でも、それらが出雲神話と関係していることは今から見れば一目瞭然で、出雲の神話が糸魚川直江津日本海沿岸から稲作の頸城平野へ伝わり、奴奈川姫伝説となり、それが信濃の黒姫伝説という昔話に転化し、それが諏訪大社にまで至る経緯が浮かび上がってきます。出雲国の支配と文化の伝播は、例えば、我が家の前の北国街道を通り、遥か諏訪の地まで至るのです。これは古代の神話伝播街道とも言えます。私が生まれた小出雲、隣の姫川原、美守といった地名、さらには奴奈川神社や斐太神社はそのような文化伝播の遺産であり、現役の歴史の遺物にもなっているのです。

 天照(あまてらす)、ヴィーナスなどの女神の役割は大きく、そこで奴奈川姫をスケッチしてみましょう。大国主神が越の国の頚城(くびき)郡に来たとき、この土地を「国中の日高見(ひだかみ)の国なり」と言い、土地の奴奈川姫と結婚します。姫は居多(こた)の浜の西の躬論山(今の岩戸山)で、健御名方(たけみなかた)神(諏訪の神)を生んだと伝えているのが斐太神社の記録で、奴奈川姫は翡翠に喩えられる美しい姫で、『万葉集』にも登場します。

 既述の越後の黒姫山伝説によれば、黒姫が奴奈川姫、あるいは奴奈川姫の母親であるとし、奴奈川姫伝説と密接な関係がある信仰の山です。信濃黒姫山にも、姫と竜神との婚姻伝説があります。頚城山塊をとりまく三つの黒姫山に囲まれた三角地帯が、古代奴奈川族が住んでいて居住範囲とする説があります。奴奈川姫は出雲から来た大国主の妃となり、諏訪大社の祭神である建御名方神タケミナカタ)を生んだことになっています。

 国譲りの神である大国主の一族が出雲から移動し、越後の頚城の土豪と結びつき、新たな集団を作り、姫川や関川を遡上し、終には諏訪信仰を生み出す古代の人の流れの物語が出来上がります。

 縄文時代から弥生時代古墳時代にかけての頸城郡と出雲国の交流は、開墾が進み稲作が普及するという状況の中で起こったのです。