紅葉狩の季節に浮かぶ我がモヤモヤ

 斐太神社や加茂(賀茂)神社は鎮護、護国、鎮守の役割をもち、地域の自然と社会を守る神社です。頚城地方に出雲の影響が強いことは糸魚川から諏訪までの神社によってわかります。「小出雲」という地名もそれを暗示しています。出雲氏賀茂氏は同祖であり、大国主命を祀る斐太神社、大国主命の第二子の「建御名方命神(たけみなかたのみこと)」とその妃神「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」を祭神とするのが諏訪大社です。とはいえ、祭神は神社毎に異なり、異なる理由は判然とせず、モヤモヤしたままです。

 一方、戸隠神社と関山神社は共に神仏習合の典型的な神社で、修験道と結びついてきました。修験道は日本人古来の山岳信仰に仏教、道教儒教などが結びつき、さらにそこに神道陰陽道民間信仰までが取り入れられています。神社管理のために置かれたのが別当寺で、宝蔵院が関山神社を、顕光寺戸隠神社を管理していました。このような管理体制の背後には「本地垂迹説」があり、別当寺の方が神社より上位にあり、別当寺が神社の祭祀を仏式で執り行い、それを取り仕切っている僧の代表「別当」は「宮司」よりも上位でした。神仏習合は明治に入って否定された筈ですが、今でも生き残り、関山神社では善光寺御開帳を記念して今年の春に「関山神社 秘仏御開帳」を行っています。善光寺の絶対秘仏の「一光三尊阿弥陀如来像」と同形式の「妙高阿弥陀三尊像」が開帳されましたが、何ともモヤモヤした開帳です。

 紅葉伝説は戸隠、鬼無里別所温泉などに伝わる鬼女伝説。平維茂が鬼女紅葉と戦い、討ち取る話で、能の「紅葉狩」に由来します。能の「紅葉狩」は深紅に染まった紅葉の山中に鬼女が現れるというストーリー。能の鬼は女性の妄念から生ずるのですが、「紅葉狩」ではそれとは反対に、鬼が美女に化けています。よく似た戸隠、鬼無里の鬼女伝説は能の「紅葉狩」の影響を受けてできたようで、何ともモヤモヤした伝説です。

 鬼が女性に化けるより、女性が鬼になる方がずっとリアルです。能「黒塚(安達ケ原)」では鬼婆が登場し、老婆と鬼の組み合わせになっています。鬼と女性はいずれがいずれの化身なのか、ここにもモヤモヤがはっきり残ります。

(モヤモヤの一例:鬼と般若)

 「鬼滅の刃」には鬼がたくさん登場します。その鬼は信濃の山々にもたくさんいたようですが、本来は「目に見えないもの」。それは隠(おん)と呼ばれ、畏怖の対象でした。天変地異や疫病はすべて隠の仕業。「鬼(き)」という漢字は死者の魂や霊魂を指し、時代が経るにつれ、「おん」が発音しにくいので「おに」に変化し、意味が近かった鬼を「おに」と読むようになったようです。これが日本の鬼の成り立ち。平安時代の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも「鬼はおんが訛った言葉」と記載されています。

 つまり、鬼は疫病や災害を起こす得体の知れない何かということで、鎌倉時代に入ると鬼の「見える化」が進み、鬼が絵に描かれるようになります。室町時代の絵巻である『百鬼夜行絵巻』には鳥の姿や動物の形を模したような鬼が登場します。江戸時代には「人型で角の生えた姿=鬼」というイメージが広まるのですが、そのきっかけとなったのが能で用いられた二本の角を持つ般若の面。般若の面は怒りや嫉妬で鬼になった女性を表すのですが、当時は女性が鬼に変化するという物語が多く誕生し、演じられる際に般若の面を着けて演じられていたため、「鬼=般若」となったようです。

 鬼の「見える化」、具象化が般若の面によって行われたのですが、その般若とは何でしょうか。般若は仏教用語で、意味は「仏の智慧(ちえ)」。智慧は不変的な真理、知恵は人がもつ可変の知識。『般若心経』は大乗仏教の基本的な経典で、真実や本質を見抜く力によって悟りの境地に到達するための大切な教え。300文字足らずの短い経典で、「空」の思想が要約されています。空とは「無常」のことです。

 仏の智慧を表す般若が、鬼の形相をした怖いイメージの能面となぜ結びついたのでしょうか。般若の面はただ怖いだけではなく、顔の上下で鬼女の心の二面性を表しています。不本意ながら鬼になってしまった恥ずかしさやうしろめたさ、情念に翻弄されてしまった人間の悲しさや切なさを感じ取ることができます。

 鬼の面が般若とされるようになったのは「般若坊」という能面師の名前が由来とされています。彼は仏の力を借りて素晴らしい能面を作りたいと願い、自分の名前を仏の智慧を意味する般若に改名。改名後、般若坊の作る能面は有名になり、その中でも鬼女の面は特に優れていました。また、様々な演目の中で、般若の面を着けた怨霊が、改心したり悟ったりする姿から、鬼女の面を仏の智慧である般若と呼ぶようになったともされています。

 こうして、目に見えない隠と仏の智慧とはまるで関係がないにもかかわらず、いつの間にか鬼=般若として能の中でまず表現され、それが伝説の中でコピーされることになったことが推定されます。昔話や伝説が仏教や能によって形を与えられ、それが伝承の中で様々に変身してきたことは驚くべきことです。