「第一義」雑感

 中村不折の作品に「郭然無聖」(1914、東京国立近代美術館蔵)があります(画像)。中村は画家であり、書家でもありました。「新宿 中村屋」の文字は今でも多くの人に親しまれていますが、この文字を書いたのが同姓の中村です。とはいえ、中村と新宿の中村屋の間に血縁関係はありません。中村屋サロンとなれば、戦後の会津八一の名前も浮かんできます。肝心の中村の絵は解説がなければ、武帝と達磨が対話する「達磨郭然無聖」の一場面だとはわかりません。その雰囲気は一般的な禅画とは随分と違いますし、私には武帝と達磨の位置関係も不自然に見えます。

 明治から大正の知識人たちの禅宗への関心は高く、中村不折だけでなく、夏目漱石もそのような一人です。『虞美人草』(1907)で漱石は人格を持った一人の人間として為すべき最も大事なことは道義に従う生き方であり、「人生の第一義=道義」であることを見事に描いて見せました。「何の」第一義かが漱石にとっては「人生の第一義」という訳で、これが日本の近代的な「第一義」の典型的な解釈になりました。これに対して、上杉謙信の場合、第一義は「仏教の第一義」であり、「仏教の基本原理」のことです。既に紹介した禅寺の「第一義」という額はどれも禅宗が説く仏教の基本原理を指しています。

 このように、「何の第一義」の「何」は時代、状況、文脈に応じて変わるのです。「第一義」という名詞は「第一原理」と同じように抽象的、一般的な名詞で、「何かの第一義」、「何かの第一原理」の「何か」を決めないと意味が定まってきません(これを哲学では「志向的(intentional)」と呼んできました)。意識、感情なども何かの意識、何かの感情として捉えない限り、その意味は不定のままです。そして、この「何か」はしばしば歴史的に変化するのです。つまり、歴史的に変化するのは「第一義」の意味ではなく、「何の第一義」の「何」が変化することなのです。例えば、物理学の第一原理の意味は不変でも、古典力学から量子力学へと変化することによって、その第一原理は異なる主張となるのです。この辺の議論は後にじっくり考えてみたいと思います。

 さて、黄檗萬福寺京都府宇治市)は黄檗宗の総本山です。既述のように、黄檗宗臨済宗の一派と考えられたこともあり、二つの宗派はよく似ていて、「臨黄ネット」という共同のサイトさえあります。隠元隆琦(いんげんりゅうき、1592-1673)は黄檗萬福寺の開祖で、中国からインゲン豆を持ち込んだ高僧として有名です。萬福寺三門の扁額「萬福寺」は隠元の書です。隠元は書の達人であり、弟子の即非如一(そくひにょいつ、1616-1671)、木庵性瑫(もくあんしょうとう、1611-1684)とともに「黄檗三筆」と呼ばれています。

 長崎の崇福寺の扁額「第一峰」は三筆の一人即非の書です。即非は、江戸時代前期中国の明から渡来した黄檗宗の僧です。1637年中国福州黄檗萬福寺隠元に師事し、1657年隠元に招かれて来日し、長崎崇福寺の伽藍を整備し、その中興開山となりました。彼は1663年萬福寺に移り、法兄の木庵とともに萬福寺首座となりました。崇福寺の第一峰門(国宝)の扁額「第一峰」は即非の書で、それが門の名前になっています。

 ところで、実際の固有名としての「第一峰」となれば、山の名前で、その標高は1989mです。別名は弁慶岳で、戸隠西岳連峰の一つです。周囲には第二峰、第三峰、そして戸隠山などがあります。これは禅宗寺院の扁額の「第一峰」という一般名詞とはまるで違います。さらに、富士山のことを「神州第一峰、芙蓉第一峰、扶桑第一峰」などと呼びます。横山大観が描いた「神州第一峰」はとても有名です。これは富士山の別名で、やはり固有名詞です。そして、「最も優れたもの」を第一峰と呼びますが、こちらは一般名詞です。こうなると、「第一峰」がどのような名詞か、何を意味するかは、それが使われる文脈に応じて変わることになります。「第一峰」と「第一義」は一般名詞としてはよく似ているように見えますが、上のことから同じではないことがよくわかります。

 萬福寺の五代目の住職が高泉性潡(こうせんしょうとん、1633-1695)です。やはり隠元に招かれ来日し、黄檗宗中興の祖とされます。漱石は『草枕』(1906)に「平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。隠元即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字が一番蒼勁(そうけい)でしかも雅馴(がじゅん)である」と書いています。漱石が好きだった高泉和尚の「第一義」の扁額が萬福寺総門にあります(画像)。

 高泉と謙信の扁額「第一義」を見比べて、自分はいずれが好きかも含め、じっくり鑑賞してみて下さい。そして、仏教の第一義(それは「諸行無常」、「色即是空」、「空」、そして「郭然無聖」などと表現されてきました)と道義に従う生き方が人生の第一義という漱石の主張を比較し、何が共通し、何が異なるか考えてみて下さい。

*中国明代の臨済宗として黄檗宗は日本に伝来しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、明治9年、一宗として独立し「黄檗宗」となりました。儀式作法とも中国式であり、鎌倉時代以来の臨済宗とは外観が随分と異なります。でも、基本的には臨済宗と変わりなく、現在でも臨済宗各派とは繋がりが強く、「臨黄」などとまとめて呼ばれます。

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中村不折「郭然無聖」

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高泉「第一義」